受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さぴあインタビュー/全国版

能動的な学びのなかで
育まれる独自性と社会性、
そして将来への高い意識

鷗友学園女子中学高等学校 校長 大井 正智 先生

80年以上前の創立当初から
アクティブ・ラーニングを実践

聞き手1
サピックス
教育情報センター所長
神田 正樹

神田 初めに鷗友学園の沿革についてご紹介いただきたいと思います。

大井 本校は1935(昭和10)年、東京府立第一高等女学校(現在の東京都立白鷗高等学校・附属中学校)の同窓会である鷗友会によって設立されました。同窓会が学校を創立するという例は全国的にも珍しいと思いますが、そこには第一高女の校長を長く務められた市川源三の存在が大きくかかわっています。日本の女子教育のリーダー的存在であった市川は、生徒たちに「女性である前に、一人の人間として社会貢献できるようにならなくてはならない」と説いていました。その思いに同窓生たちは心を動かされ、1年ほどで資金を集め、市川の理念で教育を行う学校を設立したのです。市川は全人教育を唱え、「生徒中心の授業」を行っていました。まさにこの時代から、今でいうアクティブ・ラーニングを実践していたのです。

神田 創立80周年を迎えた際の記念講演会の記録で、前校長で名誉校長の吉野明先生のお話を読ませていただきました。市川先生は第一高女時代から「自学自治」と「全人教育」を唱え、女性の地位が低く、選挙権もまだない時代に、将来必ず女性にも選挙権が与えられるから、そうなったときに困らないよう、級長と副級長は選挙で選ばせていたそうですね。日本が戦争に向かっていく時代に、しかも良妻賢母の育成を求められた女学校では考えられないことです。また、校長室に残っていたメモに「合科」ということばがあり、たとえば「園芸の授業で育てた野菜を生物の時間に観察し、その後の家庭科の時間に調理した」とあります。この生きた学習こそアクティブ・ラーニングだと思います。そして、市川先生の跡を継いだのが石川志づ先生ですね。石川先生はキリスト教思想家の内村鑑三さんと、日本の女子教育の先駆者といわれる津田梅子さんの弟子でもあった方ですね。

大井 市川が創立から5年後に亡くなったので、1940年から石川志づが引き継ぎました。石川は国際社会で活躍する女性の育成をめざしていて、第二次世界大戦の最中でも英語教育を続けていました。当時から国際理解教育の必要性を唱えていましたから、グローバル教育にしても、世の中がやっと本校に追いついてきたという感じがします。ただ、世の中では、「グローバル教育で世界と戦う力を養う」といった言い方をしますが、わたしたちは生徒を企業戦士に育てたいとは考えていません。戦うための力ではなく、自分で立つ力をつけさせたい。それが本校のグローバル教育です。

メインビジュアル

19年1月号 さぴあインタビュ ー/全国版:
目次|1|

ページトップ このページTopへ