受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

『応仁の乱』の著者が教える歴史の学び方・楽しみ方

「なぜ」と考えることで、
歴史はおもしろくなる!

呉座 勇一さんYuichi Goza

(ござ ゆういち)中世史研究者。1980年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。2008年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、国際日本文化研究センター助教。一般向けの著作としては、従来の一揆のイメージを打ち砕く『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、下剋上の実態に迫り、角川財団学芸賞を受賞した『戦争の日本中世史』(新潮選書)、40万部を超えるベストセラーとなった『応仁の乱』(中公新書)、日本史をめぐる俗説にメスを入れる『陰謀の中世史』(角川新書)がある。

 「歴史は暗記科目だから苦手」と敬遠したり、「なぜ、昔のことを学ばなくてはいけないの?」という疑問を抱いたりする受験生は少なくないようです。そこで今回は、話題のベストセラー『応仁の乱』をはじめとするさまざまな著作を通して、歴史を多くの人にわかりやすく解説されている歴史研究者の呉座勇一さんにインタビュー。呉座さんが歴史学の道を志したのはなぜか、歴史学を研究する際に求められる能力とは何か、さらには歴史を学ぶことの意義やおもしろさはどこにあるのかといった点について、お話を伺いました。

先行きが見えない時代だからこそ、
混沌とした「中世」を研究テーマに

―呉座さんは、研究活動の傍ら、ベストセラーとなった『応仁の乱』をはじめ、一般読者向けに歴史書を何冊も執筆していらっしゃいます。その意図をお聞かせください。

呉座 日本人は歴史好きの人が多く、これは世界的にみても珍しいことです。ただ、ほとんどの方が好きなのは、小説や歴史ドラマといった脚色されたフィクションで、歴史的事実とは異なるものです。

 その一方で、日本史の学界で今、どのような研究がなされているのかということは、残念ながら、あまり知られてはいません。しかし、こうした事態は、研究者側のアピール不足のせいでもあります。研究者に「論文を執筆して学会で認められれば、それでよい」「一般書を出している暇があったら、論文を書いているほうがよい」という価値観があるためでしょう。

 そうしたなか、わたしは一般の人に向けて、歴史の知られざる一面を伝えたい、学界と社会の橋渡しをしていきたいと考えています。

―研究者としては、どのような活動をなさっていますか。

呉座 現在は、京都市にある大学共同利用機関・国際日本研究センターで、「大衆文化研究プロジェクト」に参画しています。これは、「日本の大衆文化から新しい日本像を創出する」、つまり大衆文化を切り口に日本文化をとらえ直そうという試みです。

 そのなかでわたしは、中世に書かれた『太平記』という軍記物に取り組んでいます。軍記物は、武士の活躍をある程度史実に沿って描いたものですが、従来、歴史学ではあまり評価されていませんでした。というのも、物語として書かれているので、歴史ドラマのように話がかなり脚色されているからです。その一方で、国文学の研究者から見ると、ある程度史実に即して書かれているため、文学性があまり追求されておらず、純粋なフィクションとはいえない中途半端な存在となっています。

 こうした理由から軍記物を扱った研究は盛んではなかったのですが、わたしは「だからこそ共同研究するおもしろさがある」と考えています。『太平記』そのものは大衆文化とは言い難いのですが、その後の江戸時代の大衆文化に大きな影響を及ぼしています。その『太平記』の虚像と実像との関係を歴史学的手法によって解明すべく、国文学の成果を踏まえつつ研究を進めています。

―『応仁の乱』や『太平記』など、呉座さんが中世を取り上げる理由は何でしょうか。

呉座 ずっと南北朝期から室町期を専門にしてきました。この時期は社会が混沌としていて、一般の方はもちろん、研究者にも、誰が何をやっているのかよくわからない、イメージがつかみづらい時代です。でも、そこがおもしろい。今、社会は、子や孫がどんな人生を歩むか予想もつかない、激動の時代に突入しています。だからこそ、混沌としていた中世を取り上げた『応仁の乱』が注目されたのかもしれませんね。

 思えばわたし自身も、2001年に大学の日本史学研究室に入ったとき、ちょうど9.11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)が起き、冷戦終了後の楽観論が崩れて大きなショックを受けました。それが中世を研究テーマに選んだ理由の一つなのかもしれません。

歴史学はクリエーティブな学問
通説を主体的に変えていくことができる

―そもそも歴史に興味を持たれたきっかけについてお聞かせください。

呉座 わたしは東京都練馬区で育ちました。近所の公園には、太田道灌に滅ぼされた豊島氏という一族の城跡があり、落城の際はその姫君が池に身を投げたという言い伝えもあります。子どものころ、歴史というのは遠い世界、ファンタジーに近いものだったのですが、そうした史跡に触れることで、「今、自分が住んでいる場所に、数百年前は武士が住んでいて戦っていた」ことを知り、歴史と自分の生活はつながっているのだと実感できました。それが一つのきっかけになったと思います。

 大学で歴史を学んで、「池に身を投げた姫はそもそも実在しない」ことを知りましたが、かえって「そういう伝説がなぜ生まれたのか、どういう過程で創作されたのか、研究したい」とも考えるようになりました。

―大学に入って専門的に学ぶようになってから、歴史に対する思いはどのように変わりましたか。

呉座 歴史といえば、覚えなくてはならないもの、受け身の学問というイメージがありました。しかし、専門的な講義を受けるようになって、教科書に載っている〝歴史〟は、研究によって覆され、更新されていく可能性があるものであることを知りました。歴史学は、自分が研究することによって通説を主体的に変えていくことができる、クリエーティブな学問なのです。

―日本史を研究するとなると、古文書と向き合う必要が出てきますね。

呉座 本格的な研究を始めるに当たっては、まず「古文書学」、たとえば崩し字の読み方や古文書の解釈法を学ぶことになります。字の崩し方は時代によって異なっていて、字を見ただけでそれがいつごろ書かれたものかもほぼわかります。とはいえ、「崩し字さえ解読すれば、同じ日本語なのだから古文書は読める」というわけではありません。たとえば、ある時代のある権力機関が使う書式は決まっていますし、敬語も自分の地位と相手の地位によって厳密な使い分けがなされています。そうした基礎知識があって初めて、古文書を正しく読み解くことが可能になるのです。逆にいえば、時代による書式の違いなどがわかるようになれば、ルールが守られていない偽文書も見破れるようになるというわけです。

 ところが、そうした基礎知識がないと、古文書のわかるところだけをつまみ食いして我流で解釈したり、偽文書を本物と勘違いして史料として用いてしまったりしがちです。これが、間違った説が流布する原因にもなっているわけです。

―正しい史料を見つけ出して、正しく読み解くことが研究者には必要というわけですね。

呉座 価値の高い史料を集めるためには、史料を所蔵している個人や機関などに見せてもらうための交渉能力も必要になってきます。また、たとえ史料を貸してもらえるとなっても、それが大量にある場合、一人では効率的に調査を進めることができません。チームを編成して、撮影役、読解役などに分かれて取り組むことになります。歴史の研究者は「部屋にこもって史料とにらめっこしている」というイメージが強いかもしれませんが、実はコミュニケーション能力が必要になる場面がたくさんあるのです。

18年7月号 子育てインタビュー:
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