受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

「ことば」と「考える力」の関係を探る

言語技術の体系的な学習により
表現力・問題解決力は伸びる!

三森 ゆりかさんSammori Yurika

(さんもり ゆりか)つくば言語技術教育研究所 所長。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。中学2年生から4年間を旧西ドイツで過ごす。1990年、つくば言語技術教室(現・つくば言語技術教育研究所)開設。さまざまな教育機関をはじめ、日本オリンピック委員会、日本サッカー協会、日本テニス協会、東日本旅客鉄道株式会社、西日本旅客鉄道株式会社、日本航空株式会社などで言語技術教育の指導にあたる。『絵本で育てる情報分析力』(一声社)、『子どものための論理トレーニング・プリント』(PHP研究所)など著書多数。

 グローバル化やICT化の進行、さらにはコロナ禍の長期化などによって、社会の在り方が大きく変わろうとしています。これからの時代を生きる子どもたちにとって、何よりも大切なのは考える力を身につけることではないでしょうか。そこで注目されるのが、思考力の根幹になるといわれる言語技術の重要性です。今回は、言語技術教育研究の第一人者である、つくば言語技術教育研究所・所長の三森ゆりか先生に、言語技術教育の必要性や、それを育むために家庭で注意すべき点などについて語っていただきました。

ことばを正しく操れないために
企業ではさまざま弊害が起きている

広野 三森先生は、長年にわたって「言語技術教育」を研究・実践されてきました。しかも、その実践の場は、小学校から大学までの教育機関をはじめ企業・団体など、多岐にわたっています。そもそも言語技術とは、どういったものでしょうか。

三森 言語技術とは、Language Artsを訳したもので、「言語を操るための技術すべて」を指すことばです。言語を操る技術とは、文字や語彙、文法を操りながら、聞く・話す・読む・書く、そして考える力のことです。欧米やその周囲の言語文化圏では、言語技術がきちんとマスターできるよう、母語教育のなかで体系化されたカリキュラムが用意され、実施されています。

広野 そうした言語技術を習得することが、今、教育機関はもちろん、企業でも求められているのですね。

三森 そうです。運輸業界や金融業界、メーカー、行政機関、そしてスポーツ団体など、さまざまな企業や団体から、言語技術を学びたいという要請を受けています。その理由は、現場で働く人たちの多くがことばを正しく操れていないと気づいたから。さまざまな場面でことばによる意思疎通がきちんとできないため、このままではサービスの質や安全が担保できなくなると危惧しているのです。

 言語技術を学びたいという企業・団体はどこも大手ですから、採用されている従業員の多くは高学歴で優秀です。でも、講習後にその人たちから共通して出てくるのが、「国語の授業で何も学んでこなかった」という声です。そして、皆さんが「こうした言語技術を小学校から学びたかった」とおっしゃいます。 

広野 日本ではよく、「見て学べ」「見て感じろ」などと言います。ことばで説明することをおろそかにしがちではないでしょうか。

三森 たとえば、スポーツの世界でもその傾向が強く、「見て学べ」という指導が当たり前でした。何をどうすれば、より良くシュートが打てるようになるのか。方法論として教えることなく、とにかく「見て学べ」。これではなかなか上達しません。技術的に優れた人でもことばに落とし込めないので、人に説明ができず、コーチングができない。そうした問題を重視したスポーツ団体では、選手やスタッフが技術や方法論をきちんと言語化し、他人に正しく伝えられるようにするために、言語技術教育を取り入れ始めています。

 また、専門職である医師にも高い言語技術が求められます。患者さんにことばで症状を説明したり、逆に患者さんのことばから症状を診断したりしなければなりませんし、ことばでコミュニケーションをとってチーム医療を行う必要もあります。医学部入試で小論文や面接が課されるのは、医師という仕事には言語技術が不可欠だからです。知識だけ詰め込めば良い医者になれる、というものではないのです。 

広野 社会のあらゆる場面で的確な言語力が求められているのですね。

三森 「これからの社会で活躍するには英語力が必要」などとよくいわれますが、社会でまず求められるのは、高い言語技術の力です。英語以前に、日本語力、つまり「母語力」を身につけるべきなのです。

ドイツの国語教育が重視するのは
分析的に読み、構造的に書く力

広野 高学歴の人でさえ十分な言語技術が身についていないということは、日本の国語教育に足りない部分があるということでしょうか。

三森 わたし自身がそれを感じたのは、実は中学・高校生のときのことです。わたしは中2から高2まで西ドイツの学校に通っていましたが、その際に実感したのが記述で求められる質・量の違いです。日本にいたころは国語の成績が良かったのに、ドイツの国語の授業にはまったくついていけませんでした。

 といっても、ドイツ語ができる、できないという問題ではありません。ドイツでは、授業で文章を読んだり書いたりする際に、分析的な読み方や構造的な書き方が求められるのです。しかも、その量がとにかく多い。わたしは日本ではたくさん本を読むほうでしたが、きちんとした読み方を知らなかったのです。自分勝手に読むことはできても、ドイツ流の議論をしながら分析的に読むという方法を一度も学んだことがありませんでした。ですから、まったく授業についていけず、4年間、本当に夢に見るぐらい大変な思いをしました。 

 その後、高2の時に帰国したのですが、日本の勉強ってなんて簡単なんだろうって、拍子抜けしました。4年間もブランクがあったのに、国語の成績はずっとトップレベルを維持することができました。大学入試も、1年4か月の受験勉強のみで、帰国生枠ではなく、一般入試枠で突破できました。申し訳ないけれども、「日本の受験ってなんて簡単なんだろう」と思いました。 

広野 そういう教育の状況がいまだに改善されていないわけですね。


サピックス小学部 教育情報センター
部長 広野 雅明

三森 日本では現在でも、丸暗記する力と穴埋め問題のテクニックを身につけていれば、大学に入れてしまうような状況です。初等・中等教育の段階で記述の経験がほとんどないまま大学に入り、論文の書き方すらきちんと教わらずに、見よう見まねで「論文らしきもの」を書いて卒業できてしまいます。おそらく、記述力が本格的に必要になるのが、企業に入ってからなのでしょうね。そこで初めて、自分に記述力が身についていないことに気づいて、がくぜんとするわけです。

 そうしたことを考えると、やはり日本の母語教育の在り方を見直す必要があるでしょうね。言語技術の方法論に基づいて、たくさん読み、たくさん議論し、たくさん書かなければ、本当の意味での考える力は育たないと思います。 

広野 読み・書きということで気になるのはIT機器の存在です。最近、教育現場でもIT機器の導入が進んでいます。もちろん、これからの社会ではIT機器をツールとして使いこなすことは必要になるでしょうが、それによって読んだり、書いたりする機会が減るのではないかという危惧があります。

三森 IT機器の利用はどこの国でもやっています。ただ、国語の授業などの場合、今まで手書きだったものをパソコンで入力したり、パワーポイントを使ってプレゼンテーション用の資料を作ったり、情報をみんなで共有したりするといったことに利用しています。いずれもIT機器は補助、道具に過ぎず、読んだり書いたりするのは本人自身であるという考え方が根底にあります。日本の教育現場では、ともすれば「ITさえできればいい」と目的化しがちで、IT機器を使うのは人間の頭であるということがすっぽりと抜けてしまっている気がします。要は、どのような目的で使用するかということです。教育現場が自分の頭で読んだり、書いたりすることの重要性をしっかりと認識しておくことが大切です。

21年7月号 子育てインタビュー:
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