受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

サピックスecoクラブ 江戸時代のえこ事情 季刊

サピックスecoクラブ 江戸時代のえこ事情 季刊 救荒植物

食料不足への備え


 ▲ 食べることができる、山野の植物

今と同様、江戸時代には、自然災害や天候不順などの影響により、作物が思うように育たない時期がありました。その影響で食べ物が不足し、多くの人々が飢え死にしたといいます。稲が実らず、野菜も育たない、そのような状況のなか、知恵をしぼって乗り切ろうとした地域がありました。どのような取り組みだったのでしょうか。


えころじ師匠 よし! これで準備は完了。

もんた あれ? 師匠、どこかへ行くんですか?
えころじ師匠 山菜を取りに行こうと思ってな。
もんきち 山菜ってなーに?
えころじ師匠 山菜というのはゼンマイやワラビなど、山野に自然に生えている、食べられる植物のことだ。
もんきち そうなんだぁ。
えころじ師匠 山菜と呼ばれる植物のなかには、江戸時代、飢きんのときに役立ったものがある。
もんた 飢きんって、聞いたことがあるような…。
えころじ師匠 飢きんは、食べ物が足りず、人々が飢えて苦しむこと。火山の噴火、冷夏、大雨、虫の大発生などが原因で、江戸時代は飢きんがたびたびあった。そのため飢えて亡くなる人がたくさんいたようだ。
もんきち うぅ…それは悲しいね。

山形県

えころじ師匠 そこで、米沢藩(現在の山形県置賜地域)を治めていた上杉鷹山(治憲)は、家来に飢きんを乗り切るための方法を考えるよう命令したそうだ。
もんた ふむふむ、それでどうしたんですか?
えころじ師匠 その家来は救荒植物を「かてもの」という本にまとめたのだ。
もんきち ん? 救荒植物?

上杉鷹山(治憲)出典/米沢市(上杉博物館)

えころじ師匠 救荒植物とは、飢きんで食料が不足した際、その場を何とか乗り切るために食べるもので、家の周りや裏山などに生えている草木や果実のことだ。「かてもの」には約80種類もの救荒植物の名前や特徴、料理の仕方が書いてあった。
もんきち それは役に立ちそうだね!
もんた どうして料理の仕方まで書かれていたんですか?
えころじ師匠 救荒植物には、毒があるものや苦味が強いものがあり、料理の方法を知らないと、食べることが難しいからだ。さっき話した、ゼンマイやワラビも、「かてもの」には煮て食べるように書かれている。
もんきち なるほどー。
えころじ師匠 「かてもの」は米沢藩の人々の手に渡り、たくさんの人がそれを読んで飢きんに備えた。鷹山が亡くなった後もひどい飢きんがあったが、米沢藩の人々は本に書かれている救荒植物を食べて、飢きんを乗り切ることができたそうだ。
もんた わぁ、それは良かったですね。
えころじ師匠 ほかにも、食料不足に備えていた工夫は、現在でも見ることができる。 家と家との境目に、植物が植えられているのを見たことがあるかな?
もんきち うん、あるある。
えころじ師匠 それを生垣というが、山形県米沢市では、その生垣にウコギという救荒植物を利用してきたのだよ。

▲ ウコギでできた生垣

もんた ほぉ〜。
えころじ師匠 ウコギは食べられるし、とげがあるから、悪さをしようと家の中に入ろうとした人から家を守ることもできる、一石二鳥の植物だ。鷹山も生垣にウコギを使うよう勧めたといわれている。
もんた 伝統的な風景が今も残っているのですね。
えころじ師匠 さぁて、そろそろ出かけるとするか。
もんきち ぼくらも連れてってー!

サツマイモで島の人を救う

江戸時代、瀬戸内海にある島、大三島に、下見吉十郎という人がいました。吉十郎は、薩摩藩(現在の鹿児島県西部)を旅したときに、サツマイモが養分の少ない痩せた土地でも育つことを知ります。飢きんに苦しむ故郷で、サツマイモを育てたいと考えた吉十郎は、サツマイモをこっそり大三島に持ち帰りました。サツマイモ栽培を始めた大三島の人々は、その後の飢きんで、それまでのように苦しむことはなかったといいます。
 吉十郎は島の人々を救ったとして、現代でも「いも地蔵」として大三島で親しまれています。

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