受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

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  • 17年11月号 サピックスecoクラブ 江戸時代のえこ事情 季刊

サピックスecoクラブ 江戸時代のえこ事情 季刊

サピックスecoクラブ 江戸時代のえこ事情 季刊 サケ

サケを増やす環境作り

皆さんは魚をよく食べますか。また、どんな種類の魚を食べていますか。日本で多く食べられている魚の一つがサケです。日本では昔から東日本を中心にサケ漁が行われてきました。今回は、江戸時代にサケ漁が盛んに行われた地域の取り組みを見てみましょう。


えころじ師匠 うーん、うまい!

もんきち 何を食べてるのー?
えころじ師匠 サケの塩焼きさ。サケは、身はもちろん、頭や内臓、皮に至るまで、余すところなく食べられる魚だ。江戸時代の人々もサケを食べていたのだ。
もんた 昔から大切に食べられていたんですね。
えころじ師匠 古くからサケ漁を行ってきた新潟県村上市には、サケのさまざまな部分を使った料理が100種類以上もある。
もんきち わぁ、すごく多い!
えころじ師匠 その村上市は、江戸時代には村上藩と呼ばれていた。三面川という川でサケ漁が行われていたのだが、1720年代ごろになると、たくさん捕れていたサケが捕れなくなったそうだ。

新潟県

もんた それは困ります。
えころじ師匠 村上藩の人々も、これにはひどく頭を悩ませていた。そんなとき、ある提案をしたのが、村上藩で村を管理し、サケ漁を取り仕切っていた、青砥武平治という人だ。
もんきち ふ~ん。その人、何を提案したの?
えころじ師匠 君たちは、サケが自分の生まれた川に産卵のために帰ってくるというのを、聞いたことがあるかな?
もんきち うんうん、聞いたことがあるよ。
えころじ師匠 武平治は、当時あまり知られていなかったこの習性に目をつけた。川に帰ってきたサケが安全に産卵し、ふ化する稚魚が増えれば、川に戻ってくるサケも増えるだろうと考えたわけだ。
もんた ほほぉ~確かに。
えころじ師匠 そこで、武平治は、サケがより産卵しやすいよう、「種川の制」を提案し、三面川の工事を行った。
もんた 種川の制? どんな工事ですか?
えころじ師匠 三面川を3本に分け、1本は今までどおりの本流とし、2本は分流として、「止め簀」という柵を設けた。
もんきち 柵を?
えころじ師匠 まず、上流と下流に止め簀を設置する。下流の止め簀は開けたり閉めたりすることができる開閉式だ。秋、下流から上流に向かって遡上(流れをさかのぼること)してきたサケが上流の止め簀と下流の止め簀の間に十分に入ったら、次に下流の止め簀を閉める。
もんた サケを囲うんですね!
えころじ師匠 うむ。そして、その中でサケに産卵させる。サケが産卵を終えるまで、漁は禁止だ。
もんきち それならサケも安心して卵を産めるね。
もんた でも禁止となると、漁師さんはいつサケを捕るんですか?

三面川のようす▲明治時代にかかれた、三面川の絵図を基に作成

えころじ師匠 本流ではそれまでどおり漁をした。また、止め簀と止め簀の間の産卵場所では、多くのサケが子づくりを終えると息絶える。漁師たちはそのサケも捕っていたようだ。その後、春には再び禁漁として、川を下るサケの子どもを守った。
もんきち なるほどー。
えころじ師匠 後に三面川では、再びサケがたくさん捕れるようになったという、記録が残っている。
もんきち それは良かったね!
えころじ師匠 サケが少なくなったときに、1匹残らず捕ってしまっていたら、三面川のサケはいなくなっていたかもしれない。
もんた 未来のことを考え、サケを守って増やす取り組みから、ぼくらも学ぶことがあるね。

サケを呼ぶ森

サケが多く遡上する三面川では、「種川の制」のほかにも、魚のための工夫が行われていました。それは、三面川河口に広がる森林の管理です。サケの習性をよく知る村上藩では、やみくもに木を切ることを禁止し、山を管理する役人を置きました。木が生い茂る山は、魚が過ごしやすい木陰や、養分を含んだ水をもたらすなど、魚の成長を助ける機能を持つためです。この森は現在でも「魚つき保安林」に指定され、守り続けられています。

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