受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

おしえてピグマはかせ

サピックスの通信教育・ビグマキッズくらぶ おしえてピグマはかせ

No.97

 「ピグマキッズくらぶ」は、小学1年生から4年生のために開発されたサピックスの通信教育です。そのテキストでおなじみのピグマはかせが、皆さんがふだん疑問に思っていること、不思議に思っていることにお答えします。
 今回は江戸時代に使われた千両箱のお話です。千両箱というと、大判、小判がたくさん入っているイメージがあります。実際、千両箱には金額にして、いくらぐらい入っていたのでしょうか。

千両箱って本当に千両入っているの?

二千両、五千両、なかには万両箱も!

げんちゃん テレビで時代劇を見ていたら千両箱が出てきたよ。千両箱ってお金が入った金庫みたいなものだよね。
ピグマ博士 千両箱は江戸時代に小判をたくさん保管できるように作られた箱だよ。多くは木でできていて、小判を詰めて運んでも壊れないよう、角や縁が金属で補強されていて頑丈なんだ。
ひかるくん 千両箱っていうけど、本当に1000両も入っているの?
ピグマ博士 1000両入れられるのは確かだよ。小判1枚が1両だから小判1000枚で千両。なかには2000両、5000両入る箱もあったよ。それもみんな千両箱と呼ばれたんだ。京都の二条城にある蔵には、1万両が入る「万両箱」もあったそうだよ。
えりちゃん へえー。万両箱はないだろうけど、千両箱ぐらいなら普通の家にもあったの?
ピグマ博士 江戸時代は大判、小判のような金貨のほか、銀貨と銅銭の3種類のお金が使われたんだ。このうち大判は通貨としてではなく、儀礼や贈答などに用いられていたんだ。一方、小判のほうは取り引きや買い物に使われたけど、使ったのは豪商とか身分の高い武士がほとんど。豪商というのは商人の中でも特に大きな商いをしていた家で、今でもたまに豪商の屋敷の跡地などで発見されることがあるよ。いずれにしろ、大判や小判は庶民には手が届かないもので、庶民が主に使ったのは穴の開いた銅銭だよ。

意外に安全だった千両箱の運搬

さやかちゃん 千両って今のお金でいくらぐらいなの?
ピグマ博士 気になるよね。江戸時代は約260年間も続いたので、その間、何種類もの小判が造られたんだけど、物価も時期によって違うから、今のお金でいくらとは簡単には言えないんだよ。大まかなところでは、江戸時代の初めごろは、だいたい1両が10~15万円ぐらい、江戸時代の中ごろから終わりごろにかけては5~10万円ぐらいだといわれているよ。
げんちゃん 1両が10万円だとすれば、1000両で1億円! すごいなあ。
ひかるくん 小判1000枚、1億円分が入った千両箱って重いだろうね。
ピグマ博士 いちばん長く使われた慶長小判は1枚が約18グラムだから1000枚で約18キロ。箱の重さを足すと20~25キロぐらいになるだろうね。
えりちゃん わたしの体重と変わらないくらい重いのね。
ピグマ博士 『江戸府内絵本風俗往来』という江戸の暮らしを描いた書物に、千両箱を天秤棒に付けて担いで町中を歩いている人の絵が出ているよ。幕府に大金を納めるときなどは、そういう人を何人も雇って千両箱をいくつも運び入れたようだね。
げんちゃん そのまま担いで運ぶなんて危ないね。強盗に襲われちゃうよ。警備の人は付かなかったの?
ピグマ博士 護衛はいないよ。それでも「襲われた話は聞いたことがない」という記録が残っているんだ。江戸時代は意外に治安が良かったんだよ。
さやかちゃん でも、お金のやりとりをするのに、小判を箱に入れて運んでいたのでは大変だね。
ピグマ博士 税金は年貢といって、お米で納められていたのは知っているかな。関西より西の地方で集められた年貢米は大阪(当時は「大坂」と表記)に集められ、そこで現金化されたんだ。それを江戸幕府が使えるよう、千両箱に詰めて馬で江戸まで運んでいたそうだよ。
ひかるくん それはさすがに危険でしょう。何日もかかるし。
ピグマ博士 そこで現金を運ばないで済むよう、大阪の両替商にお金を渡せば、江戸の両替商でお金が受け取れるシステムが考えられたんだ。両替商というのは、銀行みたいな仕事をする商売だよ。
えりちゃん 大阪の銀行にお金を預けて、東京のATMで引き出すのと同じようなものね。
ピグマ博士 そういうことがきっかけで、現金のやり取りをしないで済む為替制度というものが発達したんだ。

■保護者の方へ

 江戸時代は金銀銅の3種類の貨幣が流通していました。金貨の中心は小判で、約260年の間に、慶長小判(1601年ごろ発行)から万延小判(1860年発行)まで10種類が造られました。小判1枚を1両とする基準は変わりませんでしたが、1両の価値は時代によって異なります。経済も人々の暮らしも大きく変化したからです。日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料によると、江戸初期には1両で約350kg、中期から後期には約150kgのお米が買えたそうです。これを現代のお米の値段と比較して計算すると、江戸初期が1両10〜15万円前後、中~後期が1両約5~10万円。当時と現代のお米の価値の違いを考えれば、もう少し高い感覚だったかもしれません。いずれにしても、小判も千両箱も庶民には縁遠いことに変わりはありません。

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