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  • 22年11月号 [入試に出る時事問題]これだけは知っておこう! さぴあニュースバンク

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さぴあニュースバンク 2022年9月

1 木曜日 気象・災害 気象庁は、今年の関東甲信から九州北部・南部にかけての各地方の梅雨明けは「7月下旬」だったと発表した。6月下旬にいったん梅雨明けが発表され、その後、7月上旬にかけて猛暑となったが、7月中旬には低気圧や停滞前線の影響で曇りや雨の日が多かったため。また、東北北部・南部と北陸の各地方の梅雨明けの時期は「特定できない」に変更した。8月上・中旬も湿った空気が流入し、「線状降水帯」が形成されるなどして雨の日が多かったため。
5 月曜日 国際 イギリスの保守党で、ボリス・ジョンソン党首の後任を決める選挙の投票・開票が行われ、リズ・トラス外務大臣がリシ・スナク前財務大臣を破って選ばれた。イギリスでは政権を握る与党の党首が国王(女王)の任命を受けて首相に就任する。トラス氏は翌6日、女王エリザベス2世の任命を受けて、故マーガレット・サッチャー氏、テリーザ・メイ氏に次ぐ、イギリス史上3人目の女性首相に就任した。
8 木曜日 国際 イギリスの女王エリザベス2世が96歳で死去した。在位期間はイギリスの国王としては歴代最長の70年7か月だった。これにより、次の国王には長男が「チャールズ3世」として直ちに即位した。その国葬は19日に行われ、日本からは天皇・皇后両陛下が参列した。
11 日曜日 政治 沖縄県知事選挙の投票・開票が行われ、現職の玉城デニー氏が再選を決めた。玉城知事は沖縄県宜野湾市にあるアメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対しているため、この問題はさらに混迷を深めると予想される。
18 日曜日 気象・災害 この日の午後7時ごろ、大型で非常に強い台風14号が鹿児島市付近に上陸した。このときの中心気圧は935ヘクトパスカルで、過去最大級の勢力だった。これに先立ち、気象庁は17日午後に、鹿児島県(奄美地方を除く)に暴風・波浪・高潮の特別警報を出していた。また、18日午後には宮崎県に大雨特別警報が発表された。
23 金曜日 社会 博多駅(福岡県)と長崎駅とを結ぶ西九州新幹線のうち、武雄温泉駅(佐賀県)と長崎駅との間が開業した。 もっと詳しく参照
23 金曜日 科学 東北大学などの研究チームは、探査機「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星リュウグウの石や砂から、二酸化炭素が溶け込んだ液体の水が発見されたと発表した。
25 日曜日 国際 イタリアで上院・下院の総選挙の投票・開票が行われ、「イタリアの同胞(FDI)」を中心とした中道右派連合が両院で過半数の議席を獲得した。このため、FDIのジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相になる見込み。メローニ氏は移民に厳しい姿勢を取っているため、ヨーロッパ連合(EU)を中心に、その首相就任を懸念する声が上がっている。
27 火曜日 社会 安倍晋三元首相の国葬が東京都千代田区の日本武道館で行われた。在任期間が憲政史上最長の8年8か月に及んだことなどを評価して政府が実施を決めたが、法律的根拠がない、費用がかかり過ぎるなどの理由で反対する声も多かった。国葬の実施は1967年に死去した吉田茂元首相以来55年ぶり。世界の200以上の国と地域から元大統領、元首相、外務大臣、議会の議長など約700人の海外要人も参列した。
29 木曜日 国際 1972年9月29日に日本と中華人民共和国(中国)との国交(国と国とが正式な関係を持つこと)が正常化されてから、この日で50年。 もっと詳しく参照
30 金曜日 国際 2月からウクライナに侵攻しているロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、23〜27日にウクライナ東部と南部のルハンシク州、ドネツク州、ザポリージャ州、ヘルソン州で親ロシア派が行った住民投票の結果を踏まえ、これら四つの州をロシア領に併合すると一方的に宣言した。欧米各国はロシア軍の占領下で行われたこの住民投票を認めておらず、併合は違法で無効だと激しく非難している。これに対し、ウクライナはアメリカとヨーロッパ諸国とによる軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)への加盟を申請すると表明した。

武雄温泉駅と長崎駅とを結ぶ西九州新幹線が開業

 博多駅(福岡県)と長崎駅とを結ぶ西九州新幹線のうち、武雄温泉駅(佐賀県)と長崎駅との間が9月23日に開業しました。両駅の間の距離は約66kmで、新幹線としては最短です。途中の諫早駅(長崎県)にしか停車しない、最も速い列車の乗車時間はわずか23分。これにより、博多駅(福岡県)と長崎駅は最短1時間20分で結ばれ、従来の在来線特急列車よりも30分短縮されました。

 西九州新幹線は1973年に建設計画が決定された「整備新幹線」の一つです。当初の計画ではレールの幅が1435mmと広い新幹線と、1067mmと狭い在来線の両方を走れる「フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」という車両を開発して、武雄温泉駅までは在来線を走らせ、そこから長崎駅までの間は、新たに建設した新幹線規格の路線を走らせる計画でしたが、技術的に難しいとして断念しました。

 その結果、博多駅と長崎駅との間を移動するには、途中の武雄温泉駅で、在来線の特急列車「リレーかもめ」と、新幹線「かもめ」との乗り換えが必要になりました。それによって生じる不便を最小限にする工夫として取り入れられたのが、「対面乗り換え方式」です。武雄温泉駅の同じホーム上で、在来線特急列車と新幹線を乗り換えられるようにしました。

 しかし、九州新幹線から枝分かれする新鳥栖駅(佐賀県)と武雄温泉駅との間の着工のめどは立っていません。佐賀県では建設に慎重な意見が強いからです。整備新幹線が開業すると、並行して走る在来線は原則としてJRの経営から分離されることになっています。その場合、沿線の自治体や民間企業が資金を出し合って設立した「第三セクター」の会社がその在来線の運行を引き継ぐケースがほとんどです。しかし、福岡県により近い佐賀県にとっては、新幹線が開業することによる所要時間短縮のメリットはそれほど大きくありません。そのため、新幹線の建設費に加えて、第三セクターの費用まで負担したくないという意見があるのです。こうしたことから、武雄温泉駅での乗り換えが必要な状態は長期化する恐れがあります。

1972年9月29日に国交を樹立日中国交正常化50周年

 1972年9月29日、中華人民共和国(中国)の首都北京を訪れていた当時の田中角栄首相は、中国の周恩来首相と会談し、日中共同声明に署名しました。これにより、日本と中国との国交(国と国とが正式な関係を持つこと)が正常化されました。

 日本は1931年、当時は「満州」と呼ばれていた中国の東北地方で満州事変を起こし、1937年には日中戦争を始めましたが、1945年に敗れて中国から撤退しました。すると今度は、満州事変前から始まっていたものの、日中戦争中は中断していた国民党と共産党との内戦が再燃します。勝ったのは共産党で、1949年に中華人民共和国の成立を宣言。一方、敗れた国民党は台湾に逃れて、引き続きそれまでの「中華民国」を名乗り、自分たちこそが中国を代表する政府だと主張し続けました。当初は日本を含む多くの国が台湾の中華民国を「中国」と認めていましたが、1971年に中華人民共和国が中華民国に代わって国際連合での代表権を得ると、国際的な流れが一変。中華人民共和国を「中国」とする国が増えていきます。日本と中華人民共和国とが国交を正常化した背景にはこうした動きがあったのです。

 日本と中国との国交が正常化してからしばらくは、日中関係は基本的に良好でした。1972年に友好の印としてジャイアントパンダが中国から日本に贈られたことは、その象徴の一つといえます。

 しかし、21世紀に入って経済力を大きく伸ばした中国は軍事力も強化しつつあります。中国は1970年代から沖縄県の石垣島の北に位置する日本の領土の尖閣諸島を自国の領土だと主張していましたが、近年ではその付近に中国の巡視船がたびたび接近し、緊張が高まるようになりました。

 その一方で、2010年代は中国から来日する観光客が非常に多くなり、日本に良い印象を持つ人も増加したようです。また、市民レベルでの交流も盛んです。国交正常化50周年のこの機会に、日本と中国との関係のあり方について、もう一度考えてみてはどうでしょうか。

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