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  • 23年2月号 [入試に出る時事問題]これだけは押さえておこう! ニュース総チェック

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これだけは押さえておこう! 入試に出る時事問題さぴあニュースバンク2023年 入試対策/ニュース総チェック

 2022年の世界を揺るがした大きな出来事といえば、ロシアによるウクライナ侵攻でしょう。日本国内では歴史的な円安と物価高に関するニュースも注目を集めました。これらも含め、未来を担う小学生なら当然知っておくべきで、なぜそれが起こったのか、どうすれば解決できるのか、自分の頭で考えてほしいことがたくさんあります。中学入試の社会科や理科で時事的な問題が多く出されるのは、そうした姿勢を持って学んできたかを確認するためです。ここでは今年の入試に取り上げられそうな2022年の主なニュースをまとめました。6年生は時事問題の最終確認に、5年生以下はこの1年間の国内や海外の動きを知っておくために、ぜひご活用ください。 ※西暦のない日付はすべて2022年です。

あれから何周年?

1NEWS CHECK 沖縄が日本に復帰して50周年

続く米軍基地の重い負担

 太平洋戦争で戦場になった沖縄はその後、アメリカ軍(米軍)の統治下に置かれました。日本ではなく、アメリカ軍が沖縄を統治していたということです。その沖縄が日本に復帰したのは1972年5月15日のことでした。

 それからちょうど50年がたった2022年5月15日、沖縄県宜野湾市の会場と東京都内の会場を中継でつなぎ、政府と沖縄県との共催による「沖縄復帰50周年記念式典」が開かれました。沖縄の会場には岸田首相や玉城デニー沖縄県知事らが、東京の会場には衆議院・参議院の議長やラーム・エマニュエル駐日アメリカ大使らがそれぞれ出席。天皇・皇后両陛下はオンラインで出席されました。天皇陛下は「沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています。今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望します」という意味のおことばを述べられました。

 数ある課題のなかで最大のものが、米軍基地の負担の軽減です。岸田首相は式辞のなかで、引き続き全力で取り組んでいくことを強調しましたが、玉城知事は過重な基地負担が復帰後50年たっても続いていて、貧困など経済的な課題もあると訴えました。

 沖縄県の面積は日本の国土面積のわずか0.6%です。その狭い土地に、現在、日本にある在日米軍専用施設のうちの約70%が集中しています。沖縄県の面積の約8%、沖縄島の面積の約15%が米軍専用施設・区域によって占められているのです。米軍基地の負担が沖縄県にとっていかに重いものであるか、よくわかる数字です。

 こうした状況を招いたのは、前述したように太平洋戦争で戦場になり、戦後は米軍の統治下に置かれたためです。それに伴い、アメリカ兵による犯罪や軍用機の墜落など、事件・事故も多発するようになりました。このため、日本に復帰したいという声が次第に高まりました。これを受け、1964年に就任した佐藤栄作首相はアメリカとの交渉に臨みました。しかし、当時は冷戦中で、かつベトナム戦争中でもあり、沖縄は中国、北朝鮮、ベトナム民主共和国(北ベトナム)などの社会主義国に対抗するのに都合のよい地理的位置にあったため、アメリカは沖縄の基地をどうしても維持したいと考えていました。それでも、返還しても日米安全保障条約によって基地を維持できる、返還しなければ日本との関係が悪化すると判断し、返還に応じたのです。その後、ある程度は基地の整理・縮小が進みましたが、まだ十分とはいえません。

普天間飛行場の移設問題

 沖縄の基地のなかでも最も注目されるのが、宜野湾市の中央に位置する普天間飛行場です。周りに広がる住宅地の人々は軍用機が離着陸する際の騒音に悩まされており、落下物の危険にもさらされています。万一、軍用機が住宅地に墜落したら、大勢の住民が巻き込まれる可能性もあります。

 そこで1996年、当時の橋本龍太郎首相はアメリカに普天間飛行場の返還を求め、「5〜7年以内に日本に返還する」ことが合意されました。しかし、そのためには代わりの施設を別の場所に建設することが必要です。2006年には沖縄島北部の名護市の東海岸にある辺野古地区に新たな滑走路を建設する計画に名護市が同意し、アメリカも認めました。2017年には国が辺野古沿岸部の埋め立て工事に着手しました。しかし、これでは同じ沖縄県内での移設のため、沖縄県の基地負担は変わらないとして、住民らによる反対運動が続いています。

 9月11日には沖縄県知事選挙の投票・開票が行われ、現職の玉城氏が再選を決めました。玉城知事は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対していますが、同日に行われた宜野湾市長選挙や、10月に行われた那覇市長選挙では辺野古への移設を進める与党の自民党・公明党が推薦した候補者が当選したため、この問題はさらに混迷を深めそうです。

補足しておくと

 「沖縄の課題」は米軍基地の整理・縮小だけではありません。貧困の問題も深刻です。1人当たりの県民所得(2018年度)は全国最下位でした。基地・観光業・公共事業の「3K」に依存した経済になっていて、第二次産業があまり発達していないため、第三次産業に携わる人が81.7%(2020年国勢調査)と非常に高くなっています。しかし、その頼みの観光業も、2020年以降は新型コロナウイルス感染症のため、苦境に陥っています。

 そんななかで明るいニュースもありました。2019年10月31日の火災で正殿・北殿・南殿などが全焼した那覇市の首里城で、11月3日に正殿の復元工事の起工式が行われたのです。かつての琉球王国の居城だった首里城は太平洋戦争ですべての建物を焼失しましたが、1992年に正殿が復元され、沖縄県民の誇りとなっていました。2019年10月31日の全焼は沖縄県民に大きな衝撃を与えただけに、この日を待ち望む人は多かったのです。

2NEWS CHECK 日中国交正常化50周年

田中角栄首相のとき、日中共同声明に署名

 2022年は日本と中華人民共和国(中国)とが国交を正常化して50周年でもありました。1972年9月29日、中国の首都北京を訪れていた当時の田中角栄首相は、中国の周恩来首相と会談し、日中共同声明に署名しました。この結果、日本と中国との国交(国と国とが正式な関係を持つこと)が正常化されました。

 1931年、当時は「満州」と呼ばれていた中国の東北地方で満州事変が起こり、1937年には日中戦争が始まりましたが、日本は1945年に敗れて中国から撤退しました。すると今度は、満州事変前から始まっていたものの、日中戦争中は中断していた国民党と共産党との内戦が再燃します。勝ったのは共産党で、1949年に中華人民共和国の成立を宣言しました。敗れた国民党は台湾に逃れて、引き続きそれまでの「中華民国」を名乗り、自分たちこそが中国を代表する政府だと主張し続けました。

 当初は日本を含む多くの国が台湾の「中華民国」を「中国」と認めていましたが、1971年に中華人民共和国が中華民国に代わって国連での代表権を得ると、国際的な流れが一変し、中華人民共和国を「中国」とする国が増えていきます。このころ、ソ連と中華人民共和国が対立していたため、アメリカが中華人民共和国に接近し始めたことも影響しました。日本と中華人民共和国とが国交を正常化した背景にはこうした動きがあったのです。

 中華人民共和国は、国交を結んだ国が台湾の中華民国とも国交を維持することをけっして認めないので、日中国交正常化に伴い、日本は台湾を国家と認めないことになりました。しかし、民間レベルでの台湾との交流は今でも非常に盛んです。

 こうして日本と中国との国交が正常化してからしばらくは、日中関係は基本的に良好でした。1972年にジャイアントパンダが中国から日本に贈られたことは、日中友好を象徴する出来事の一つといえます。

 しかし、21世紀に入って経済力を大きく伸ばした中国は自信をつけ、軍事力も強化されつつあります。中国は1970年代から沖縄県の石垣島の北に位置する日本の領土である尖閣諸島を自国の領土だと主張していましたが、近年ではその付近に中国の巡視船がたびたび接近し、緊張が高まるようになりました。中国は南シナ海でも南沙諸島をめぐってベトナムやフィリピンと対立しています。こうした中国の海洋進出に対し、日本やアメリカは「自由で開かれたインド太平洋」を守ろうとしています。

 中国国内での人権侵害も世界的に問題とされるようになりました。チベット自治区、新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区などでは、こうした少数民族の伝統的な文化が否定されつつあるようです。また、1997年にイギリスから返還され、中国の「特別行政区」になった香港では、50年間は「一国二制度」を適用し、民主主義や言論の自由が守られることになっていたにもかかわらず、中国政府や共産党を批判するデモなどの活動が弾圧されるようになりました。このため、中国には国際社会から厳しい目が注がれていますが、その一方で、2010年代は中国から来日する観光客が非常に多くなり、日本に良い印象を持つ人も増えたようです。

補足しておくと

 中国では共産党のトップである総書記が国のトップである国家主席を兼ねるようになっています。その総書記は5年に一度開かれる共産党大会で選ばれます。その党大会が2022年10月16日から22日まで、北京で開かれました。総書記に選ばれたのは2012年から務める習近平氏でした。これまで総書記は2期10年務めたら退任するのが慣例でしたが、異例の3期目に入ったことになります。23日には新指導部を発足させました。国家主席としても3期目に入るのは2023年春からです。しかし、新体制は早くも大きな試練にさらされました。新型コロナウイルス感染症の流行を徹底的に封じ込めようとする「ゼロコロナ」政策に対する国民の不満が高まり、11〜12月には抗議行動が頻発したため、事実上の政策修正を余儀なくされたのです。

3NEWS CHECK 鉄道開業150年

日本初の鉄道は新橋ー横浜間に

 1872年10月14日、東京の新橋駅(後の汐留貨物駅。現在の新橋駅とは異なる)と横浜駅(現在の桜木町駅)との間に、日本で初めての鉄道が開業しました。当初は1日9往復で、時速は30㎞程度、所要時間は53分でした。開業前は徒歩で1日がかりの距離でしたが、鉄道なら1時間もかからずに到着するのですから、まさに画期的なことでした。

 鉄道を建設するための技術は日本にはなかったため、当時の鉄道先進国であるイギリスのノウハウが導入されました。イギリス本国のレールの幅は1435㎜(標準軌)でしたが、植民地では1067mm(狭軌)が多く、それが地形の複雑な日本に合っているとされたため、日本でも1067mmが採用されました。

 なお、当時の新橋駅は「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」として、東新橋の汐留シオサイトのビル群に囲まれた場所に、外観が忠実に再現されています。

西九州新幹線が部分開業

 2022年はそれから150年という記念すべき年でした。10月14日には各地の鉄道会社でさまざまなイベントが行われましたが、その直前の9月23日には、博多駅(福岡県)と長崎駅とを結ぶ西九州新幹線のうち、武雄温泉駅(佐賀県)と長崎駅との間が開業しました。両駅の間の距離は約66㎞で、新幹線としては最短です。途中の諫早駅(長崎県)にしか停車しない、最も速い列車の乗車時間はわずか23分。この結果、博多駅と長崎駅とは最短1時間20分で結ばれ、従来の在来線特急列車よりも30分短縮されました。

 西九州新幹線は1973年に建設計画が決定された「整備新幹線」の一つです。当初はレールの幅が1435㎜の新幹線と、1067㎜の在来線の両方を走れる「フリーゲージトレイン(軌間可変電車)」という車両を開発し、武雄温泉駅までは在来線を走らせ、そこから長崎駅までの間は、新たに建設した新幹線規格の路線を走らせる予定でしたが、技術的に難しいとして断念しました。

 このため、博多駅と長崎駅との間を移動する場合、途中の武雄温泉駅で在来線の特急列車「リレーかもめ」と、新幹線「かもめ」との乗り換えが必要になりました。しかし、九州新幹線から枝分かれする新鳥栖駅(佐賀県)と武雄温泉駅との間の着工のめどは立っていません。佐賀県では建設に慎重な意見が強いからです。

 整備新幹線が開業すると、並行して走る在来線は原則としてJRの経営から分離されることになっています。その場合、沿線の自治体や民間企業が資金を出し合って設立した「第三セクター」の会社がその在来線の運行を引き継ぐケースがほとんどです。しかし、福岡県により近い佐賀県にとっては、新幹線が開業することによる所要時間短縮のメリットはそれほど大きくありません。そのため、新幹線の建設費に加えて、第三セクターの費用まで負担したくないという意見もあるのです。

JRローカル線の多くが存続の危機

 鉄道開業150年を記念するイベントが行われる一方で、鉄道の厳しい現状も伝えられています。もともと大都市圏以外のいわゆる「ローカル線」はほとんどが赤字でしたが、少子高齢化の進行で利用者が減少傾向にあったところに、新型コロナウイルス感染症の流行による旅行・帰省の減少が追い打ちをかけ、さらに厳しい状況に陥りました。大都市圏でもテレワークの普及などにより、通勤客が減少したため、その収入でローカル線を維持することも難しくなってきています。

 こうした状況を知ってもらおうと、JR各社では相次いで詳細なデータを発表しています。JR東日本も11月24日、利用者の少ないローカル線について、2021年度の収支の状況を発表しました。その対象となったのは、2019年度の実績で輸送密度(1日1㎞当たりの平均旅客輸送人員)が2000人未満だった35路線66区間で、これらすべてが赤字でした。

 設備や人件費などの営業費用に対する運輸収入の割合が最も低かったのは、陸羽東線の鳴子温泉駅(宮城県大崎市)ー最上駅(山形県最上町)間と、久留里線の久留里駅(千葉県君津市)ー上総亀山駅(同)間でした。このうち、前者の区間は100円の運輸収入を得るために2万31円もの経費がかかる状況でした。

 これらのローカル線は地元自治体の同意を得たうえで、バスなどに転換するというのも一つの選択肢です。それでも貨物列車も含めた全国的な交通網の維持を考えると、安易に廃止することはできない路線もあります。最近では線路や駅などは地元自治体の所有として、鉄道会社は運行だけを担当するという「上下分離」による存続を模索する動きも盛んになっています。

補足しておくと

 鉄道は日本経済の発展に大きく貢献してきました。しかし、人口の減少、少子化の進行などの理由から、ローカル線の赤字が年々深刻になっています。その額が多いのは前述した陸羽東線や久留里線ではありません。むしろ奥羽本線、羽越本線、紀勢本線、山陰本線といった「○○本線」を名乗るような幹線です。これらは全国的な交通網を考えれば、安易に廃止することはできません。

 鉄道が廃止されると、通勤・通学で利用する人や病院に通う人たちに大きな影響が生じ、生活そのものが困難になってしまう恐れがあります。1日に7〜8往復、3〜4時間に1本しか列車が走らないローカル線も少なくありません。そうした路線は公共交通機関として事実上使えないため、利用者がますます減るという悪循環に陥っています。

 たとえば、東京に住んでいると、JR山手線の電車は2〜3分置きに来ます。これは、実はとても恵まれていることなのです。地方には自分の意思でいつでも自由に移動できるわけではない人たちがいるということも知っておくべきでしょう。

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