受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

15.5月号 子育てインタビュー目次:
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電子情報通信工学のトップ研究者が説く〝IT時代の子育て論〟

竹内 健さん

(たけうち けん)●中央大学理工学部電気電子情報通信工学科・教授。1967年、東京生まれ。東京大学工学部物理工学科卒業、大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了後、東芝に入社。スタンフォード大学でMBA、東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻で博士を取得。2007年に東京大学工学部電気電子工学科准教授、12年より現職。コンピュータシステム、新メモリデバイスの研究に従事。近著に『世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記』(幻冬舎新書)。日経テクノロジーOnlineに「エンジニアが知っておきたいMOT」を連載中。

IT機器を活用するためには
情報を評価する力が求められる

髙宮 竹内先生はIT機器の記録媒体であるフラッシュメモリの開発に携わる研究者でいらっしゃいます。それでいて、「子どもの教育にはIT機器を使わないほうがよい」と提言されていますね。

竹内 今の若い世代は、物心つくころからさまざまなIT機器に恵まれ、ネット環境が整ったなかで育った「デジタルネイティブ世代」です。彼らはIT機器を使った情報検索や情報処理が上手です。アナログ世代からはとても器用にも見えますが、IT機器を使えるからといって、物事を本当にわかっているのかどうかといえば、疑わしいところです。下手をすると、ITが使いやすくなり過ぎた結果、技術の中身をブラックボックスとして理解しなくなっているケースもあります。

 また、ITを利用できることと、情報を判断できることは別物です。なかには、ネットに流された情報を簡単に信じてしまう人もいます。この世の中の多くのことが営利を目的として動いている以上、流される情報には何かしらのバイアスがかかっていることが多いのでしょう。そうした背景を考えずに情報に飛びついてしまうと、間違った情報に踊らされることになります。人間がITによって必ずしも賢くなるわけではないことを忘れてはなりません。

髙宮 IT機器を使いこなすだけでなく、そこから得られる情報を評価し、活用する「ITリテラシー」が重要というわけですね。

竹内 ITリテラシー以前に基本的な判断力が必要です。アナログ世代は、情報を集めるにも図書館に行って本を調べるなど、ひと苦労します。そういった手間をかけて情報を集める作業は、ネットの検索ソフトに比べれば一見、非効率に見えます。しかし、ひょっとしたらこうした非効率な作業は、情報を評価する目を鍛える効果があるのかもしれません。ネットでたくさんの情報に触れても、それを上手に使いこなせなければ、間違った情報に振り回されることになりますが、今の子どもは、そうした判断力が養われる前に、ネットを通じて大量の情報に触れてしまう。そのことが良いのかどうか、いま一度、考える必要があると思います。

髙宮 「ITは便利だけれども万能ではない」ということですね。実は、SAPIX YOZEMI GROUPでは、大学入試問題を人工知能に解かせる研究に協力しています。今では人工知能もかなり賢くなっていて、センター試験はそれなりに解けるようになりました。しかし、東大の二次試験になると、まだまだ歯が立たないようです。

竹内 計算などの単純作業や大量の情報を処理することに関しては、人間はとっくにコンピューターに追いつかれ、追い越されています。その分、人間には人間にしかできない創造性が求められるようになります。ある意味、大変な時代になってきています。今後は、ITの便利さを享受しながら、ITを使いこなすことをめざさなくてはなりません。

 それには、自分の手と頭をしっかり使い込んでおくことが大事です。わたしの専門である電子回路の設計でも、コンピューターを使って「何となく」設計図を作ってしまう人よりも、紙と鉛筆を用いて、頭を使って原理原則を考えながら設計した人のほうが、最終的に性能の良い製品を設計できますし、現場のトラブルにもきちんと対応できます。

髙宮 おっしゃるとおりだと思います。世間では、たとえば立体図形を教えるときに、「タッチパッドを使ってCG画像を見せると、早く理解できてよい」と考える教育者もいるようです。しかし、サピックスでは「紙に描かれた図形を見て、鉛筆を動かしながら、頭の中で3次元にする」といった過程が、子どもの思考力を育てるために大事だと考えています。

技術と経営という二つの武器を生かし
企業人として、研究者として活躍

髙宮 先生は、フラッシュメモリを開発する技術者でありながら、米国でMBAの資格を取る、というユニークな経歴をお持ちです。そのいきさつをお聞かせ願えますか。

竹内 学生時代は、東大大学院の修士課程で物理工学の基礎研究をしていて、そのまま博士課程に進学し、研究者になるつもりでいました。ところがあるとき、先輩から「就職活動で東芝を訪ねるから一緒に来ないか」と誘われて、見学のつもりでついて行きました。そのときに、フラッシュメモリの発明者の舛岡富士雄さんに出会ったのです。舛岡さんは半導体、そしてフラッシュメモリの将来性を熱く語ってくれました。その熱気に煽られて、ほとんど衝動的に方針を転換し、東芝への就職を決めたのです(笑)。

 ところが入社してみると、どうも話が違います。当時の東芝で、フラッシュメモリの事業は全然メジャーではなかったのです。研究自体は世界最先端だったのですが、フラッシュメモリという新しい製品が使われる商品といえば、ようやく市場ができつつあったデジカメくらいでした。いくら優秀な技術を開発しても、マーケティングがしっかりしていなければ事業を拡大できません。ちょうどバブル経済が崩壊し、それまで世界一と思われていた日本のメーカーの競争力が落ちつつありました。「このまま技術だけをやっていても、ビジネスで負けてしまう…」と思い、米国で経営を学ぼうと考えました。

髙宮 技術者だった先生が「留学して経営を学びたい」と申し出たとき、会社側の反応はどのようなものでしたか。

竹内 ほとんど前例がなかったので、大問題になりました。当時は、海外留学してMBAを取得した社員がすぐに会社を辞めてしまうことが社会問題にもなっていたため、無理からぬことです。ただ会社側も、技術と経営の両方がわかる人材の必要性は理解していたのでしょう。最終的には留学が認められることとなりました。懐の深い会社だと、今でも感謝しています。

 留学先は、アメリカのシリコンバレーにあるスタンフォード大学の経営大学院です。ここで技術の研究はいっさいせず、ひたすらマネジメントを学び、MBAを取得しました。

髙宮 帰国後は、経営やマーケティングの知識を生かし、フラッシュメモリ事業のマネージャーとして成功を収められました。それなのに、2007年に東芝を辞めて東京大学に移られたのはなぜでしょうか。

竹内 わたしには、「大きな組織の中で調整をするよりも、小さい組織の中で自分で判断し、自分で実行するプレーヤーでありたい」という思いがありました。日本の大企業はボトムアップで物事が決まるところもあり、係長くらいまでは現場でおもしろい仕事にどんどんチャレンジできます。実際に企業では、実にさまざまな経験をさせていただきました。しかし、フラッシュメモリの事業が成功し、規模が拡大するにつれ、関係する人の数も増え、調整の仕事が増えてきました。もう卒業してもよい時期だと思いました。大学で研究室を持てば、自分で研究テーマを決め、自分の責任でお金を集め、動かすことができますからね。そう思っていた矢先に、東大から声がかかったのです。

 東大では基礎研究に戻るという選択肢もありましたが、研究一筋の人たちとの差別化を図るため、企業で培った技術と経営を武器にして、さまざまな研究者や企業と連携していくことにしました。新技術の試作品を製造する際は、古巣の東芝にお願いしたりもしました。企業で働いていた人間ならではの、人脈や知識を駆使したのです。

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