受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

16.7月号 子育てインタビュー目次:
1|

気鋭の生物学者が教える「読書」の効能

福岡 伸一さん

(ふくおか しんいち)●生物学者。農学博士。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。専攻は分子生物学。2007年に発表した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、中央公論新書大賞を受賞。ほかにも『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー新書)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)など多数の著書がある。

昆虫の生態を調べるために
図書館に通い続けた少年時代

―福岡先生が研究している分子生物学とは、どのような学問なのでしょうか。

福岡 ひと言でいえば、生物を分子レベルで研究する学問ですね。生物の細胞には、DNAやタンパク質など、数多くのミクロな部品が存在しています。それらを探し出して、生命現象にどんな役割を果たしているのかを調べるのです。

 そうやって何十年も研究を続けてきましたが、細胞を細かく分類するだけでは、結局、生命のことはわかりません。その反省に立ち、十年ほど前からは、自分が学んだこと、気づいたことを本に書く仕事もしています。2007年刊行の『生物と無生物のあいだ』は幸い、多くの人に読んでいただくことができました。

 この本でわたしが提示したのは、「動的平衡」という考え方です。生命は部品の一つが欠けても、全体でバランスを取って何とかやっていけるだけの柔軟性を持っています。この生命が絶え間なく動きながらバランスを取っている状態を、わたしは「動的平衡」と名付けました。

 また、最近では趣味が高じて、17世紀オランダの画家・フェルメールに関する論評活動も行っています。

─生物学者になろうと思ったきっかけは、どんなことだったのですか。

福岡 きっかけは、チョウやカミキリムシなどの虫採りに夢中になっていた少年時代にさかのぼります。昆虫少年であったわたしの夢は、日本のすべてのチョウを採集し、完璧な標本を作ること。とはいえ、やみくもに捕虫網を振り回しても、チョウが採れるわけではありません。

 そこでわたしは、昆虫の生態を調べるために、自宅近くの公立図書館に通うようになります。図書館では、本が日本十進分類法というルールに基づいて並べられていることを、まず知りました。そして、わたしが調べたい昆虫関係の本は、自然科学の棚の460番台に並んでいました。

 ある日、初めて足を踏み入れた参考図書室で、『原色図鑑 世界の蝶』という本と出合います。世界中のチョウを一冊に網羅したその図鑑を「欲しい」と思ったのですが、その本はすでに絶版で、書店に行っても手に入りません。そこでわたしは、今思えば大胆な行動に出ました。本の著者である昆虫学者の黒澤良彦先生に、「本を譲ってもらえませんか」と手紙を書いたのです。すると先生から、すぐに返事が来ました。「残念ながら、手元に余分な在庫はないが、神保町の古本屋さんにはあるかもしれない」と。こうしてわたしは、最初は親に連れて行ってもらいながら、神田神保町の古書店街で昆虫の専門書をあさるようになりました。小学3〜4年生のころです。

─昆虫への興味から、自然科学や生物学のほうへと接近していったのですね。

福岡 そうです。それまでの虫採りにも、フィールドワークとして目的を持って取り組むようになりました。

 実は、チョウの幼虫はそれぞれ、たとえばアゲハチョウはミカン科、アオスジアゲハはクスノキ科というように、食べる植物が決まっています。チョウ同士がお互いに共存できるように、そうやって棲み分けているんですね。当時のわたしは、アオスジアゲハを家で飼育していたので、自分が住んでいる町のどこにクスノキが生えているか、注意深く観察するようになりました。幼虫の食草はそこから採ってくればいいし、成虫を捕まえるにも、クスノキの近くで待っていればいいと学習したのです。そんな少年時代を過ごしながら、いつかは黒澤先生のような学者になりたいと、漠然と思うようになっていました。

顕微鏡への興味が
生物学者への道につながる

─福岡先生の読書体験は、最初は昆虫関連の本から始まったのですね。

福岡 図書館で図鑑を見ることから始まり、その後、昆虫関係の本を読むようになると同時に、子ども向けSF小説にも熱中しました。特に愛読したのが、岩崎書店『エスエフ世界の名作』シリーズです。また、中学校に上がるころには、星新一や筒井康隆のSFも読み始めました。ちなみに、思い出の『エスエフ世界の名作』は、その後大人になってから、初版本全26巻をネットオークションで落札することになります。とても高価でしたが、こんな出物は二度とないので、思い切って購入しました。

─少年時代の読書は、その後の福岡先生とどのようにかかわっているのでしょうか。

福岡 小学生時代のわたしは、人間の友だちが少なかったので、両親がたいへん心配して、あるとき、顕微鏡を買ってくれました。今考えれば、明らかに逆効果ですが…(笑)。ともあれ、わたしはたちまち、ミクロの世界に魅了されました。顕微鏡で見るチョウの羽の鱗粉は、信じられないほど美しかったからです。

 このとき、わたしの“オタク心”に火が付きました。オタクは、常に物事の源流を探りたがるものです(笑)。顕微鏡についても、このすばらしい装置を発明したのがどんな人なのか、どうしても知りたくなりました。そこでわたしは、図書館で『微生物の狩人』(ポール・ド・クライフ著、岩波文庫)という本を探し出し、原始的な顕微鏡を発明した、レーウェンフックというアマチュア研究者にたどり着きました。彼は世界で初めて顕微鏡を使って微生物を観察し、「微生物学の父」とも呼ばれる人です。少年のわたしは、この人の存在を知り、「アマチュアでも科学史に名を残せるんだ!」と、大いに意を強くしました。生物学者になりたいと思った直接のきっかけは、このレーウェンフックとの出会いだったかもしれません。

─昆虫学ではなく、分子生物学の道に進まれたのには、どのような経緯があったのでしょうか。

福岡 現代のプロの昆虫学者は、ゴキブリの誘引物質の分析など、害虫駆除の研究が主な仕事になります。昆虫好きとして、そういった研究にはやはり抵抗がありましたね。一方、わたしが大学生になった1980年代初頭、DNAや遺伝子を研究する分子生物学が時代のトレンドになっていました。若者としては当然、トレンドを追い掛けたくなります。そこでわたしは、捕虫網を実験器具に持ち替え、新種の昆虫を発見する代わりに、新種の遺伝子やタンパク質を発見する道を選ぶことにしました。

 微生物学の父レーウェンフックとは、もう一つ因縁があります。それは、彼が1632年にデルフトというオランダの小さな町で生まれていること。実は、画家のフェルメールも同年にデルフトで生まれていて、二人の間には何らかの交流があったのではないかと考えられます。

 後年、わたしは生物学の研究者としてアメリカで3年間生活しますが、ニューヨークの美術館で初めてフェルメールの絵を見たとき、「あのフェルメールか!」と感激しました。そして、事実をどこまでも正確に写し取るその技法に、科学者としてすっかり共感してしまいました。そのときから、わたしはフェルメールのファンになったのです。

 今振り返ってみると、昆虫好き、図書館、読書、顕微鏡、レーウェンフック、生物学、フェルメールと、すべてが一本の糸でつながっていたのを感じます。好きなことを、いつまでも好きであり続けていれば、新たな世界が自然と目の前に広がっていくものなのではないでしょうか。

16.7月号 子育てインタビュー目次:
1|

ページトップ このページTopへ