受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

16.9月号 子育てインタビュー目次:
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『小倉百人一首』を英訳した研究者からのメッセージ

ピーター ジェイ マクミランさん

●翻訳家、研究者、詩人、アーティスト(雅号は「西斎」)。1959年アイルランド生まれ。アイルランド国立大学ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンを卒業後、同大学院で哲学の修士号と英文学の博士号を取得。その後、プリンストン、コロンビア、オックスフォードの各大学で客員研究員として2年間を過ごす。2008年に『小倉百人一首』の英訳を出版。現在は杏林大学客員教授、東京大学非常勤講師を務める傍ら、日本と世界をつなぐ架け橋としての活動を精力的に展開している。

アイルランドの豊かな自然のなかで遊び、
絵画や文学に親しみながら育つ

―マクミラン先生は文学研究者として「小倉百人一首」の英訳で知られるほか、版画家(雅号は「西斎」)でもあり、詩人でもあります。また、日本文化を海外に紹介する仕事に携わるなど、多彩な活躍をなさっていますね。

マクミラン  大学や大学院では、美術や詩などの創作文、百人一首の英訳などについて講義を行っています。版画家としては、葛飾北斎にならって『新・富嶽三十六景』を創作しました。こうしたさまざまな活動を通じて、日本の精神や文化を世界に発信していければと考えています。

―先生はアイルランドのご出身とのことですが、どのような子ども時代をお過ごしでしたか。

マクミラン わたしが生まれたのは、アイルランドの首都ダブリンに近いネイスという町です。人よりも馬や牛のほうが多い、のどかなところでした。当時のアイルランドは西欧の中でもいちばん貧しく、首都のダブリンでさえ八王子市よりも人口が少ない、小さな農業国だったのです。

 子どものころの生活は、今の日本の子どもたちのそれとはずいぶん違っていましたね。自然のなかで乗馬をしたり、狐狩りをしたりして過ごしました。夏は白夜ですから、夜11時くらいまで外で遊んでいたものです。ウサギ、ネコ、イヌ、ヤギなど、動物もたくさん飼っていましたよ。

―そうしたなかで、文学への興味はどのように育まれたのでしょうか。

マクミラン わが家は貧しく、父母はわたしをはじめ8人の子どもを苦労しながら育てていました。ただ、物はなかったけれど、文化的には豊かでしたね。父は絵画のコレクターで、家にはたくさん絵が飾ってありました。母は物書きで児童文学も手がけていたため、本もたくさんありました。子どもたちは母と一緒に小説を読み、文学に親しみながら育ちました。そうしたことが影響して、わたしは大学で哲学と文学を学び、その後、哲学で修士号を、文学で博士号を取得することになったのです。

―どういうきっかけで来日されたのですか。

マクミラン 20代半ばごろ、研究者としての仕事を探していたときに、日本での研究ポストが見つかりました。ちょうど同じ時期に、アメリカのテキサス州での仕事の話もあって、アメリカか日本か迷ったものです。そして、「どうせ行くなら、遠くに行こう」と日本を選んだのです。

 来日した当初は、米軍横田基地にあるメリーランド大学の分校で、米国籍の人たちに哲学を教えていました。その後、縁があって杏林大学からお誘いがあり、日本の学生を相手に英語や英米文学を教えるようになったのです。

ことばの使い方が繊細で複雑
和歌には日本語独特の美しさがある

―英米文学の研究者だったはずが、日本の古典である百人一首に興味を持ち、翻訳しようと考えるようになったのはなぜですか。

マクミラン わたしは自分でも詩を書き、詩集も出しています。それで、日本の詩の世界にも興味を持っていたのですね。とりわけ「小倉百人一首」は、素直な心や自然への共感といった、日本人の感性が凝縮されたすばらしい詩集だという印象を持っていました。

 その百人一首の翻訳を手がけることになったきっかけは、40代にいわゆる「ミッドライフ・クライシス」(中年期の心理的危機)に陥ったことです。「自分はこのままでいいのだろうか」「このまま日本にとどまるか、アイルランドに帰るか」などと悩むようになったのです。そして、「かねてから興味を持っていた百人一首の翻訳をしてみたら、その答えが出るかもしれない」と思い、取り組むことにしたのです。当時のわたしには日本の古語の知識はありませんでしたから、高校の古文の教科書を調べたり、日本の研究者の協力を得たりしながら訳しました。

―完成した作品は、米国出身の日本文学者ドナルド・キーン氏にも絶賛され、日本翻訳文化特別賞などを受賞し、話題になりましたね。

マクミラン 多くの人から評価を頂いたことで、「日本と世界の架け橋になろう」というわたしの人生が決まったのです。その後は、日本最古の歌物語集『伊勢物語』の翻訳にも取り組み、今は、百人一首の英語かるたの制作に取り掛かっています。

―和歌を訳していて、どういう印象を持ちましたか。

マクミラン 日本の和歌は、情緒的で、繊細で、自然の隠喩に満ちていて、とても共感しやすかったですね。というのも、アイルランドにも同じような詩がたくさんあるからです。

 また、日本の和歌はことばの使い方が複雑ですから、研究するほど奥深さを感じます。同音異義語を使った修辞法である掛詞などに情緒を感じます。

―お気に入りの掛詞、表現などはありますか。

マクミラン 伊勢物語に「恋ひわびぬ 海人の刈る藻に やどるてふ 我から身をも くだきつるかな」(詠み人知らず)という和歌が登場します。ここに出てくる「我から」ということばも掛詞の一つですね。文字どおり、「我から」という意味もあります。と同時に、「われから」という乾燥すると砕けてしまう虫も連想させます。このことばを使って、恋しくて、漁師が刈り取る海藻にすみついている「われから」という虫のように、自分の身が砕けるほどに狂おしい…というような、片思いのつらさをうたっているのです。このように、自然のものを連想させながら情の深さを表現する掛詞のような修辞法には、日本語独特の美しさがあります。

16.9月号 子育てインタビュー目次:
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