受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

17年4月号 子育てインタビュー目次:
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古生物学者から未来に生きる子どもたちへのメッセージ

佐藤たまきさん

(さとう たまき)東京学芸大学 教育学部 自然科学系広域自然科学講座宇宙地球科学分野 准教授。専門は古生物学で、日本における首長竜の化石研究分野のパイオニア。東京大学理学部地学科、シンシナティ大学大学院修士課程を経て、カルガリー大学大学院博士課程修了、Ph. D.取得。カナダ・王立ティレル古生物学博物館、北海道大学、カナダ自然博物館、国立科学博物館での博士研究員を経て、2007年に東京学芸大学に着任、2008年より現職。2016年猿橋賞受賞。

人生の選択肢を広げるために
苦手なことにもチャレンジを!!

化石標本の研究を通じて
生物の全貌を明らかにする学問

―先生が携わっていらっしゃる古生物学とは、どのような学問でしょうか。

佐藤 地質学の一分野で、過去に生きていた生物の化石標本などを用いて、その生物の分類・生態・進化を研究するとともに、生命の起源から現在の生き物に至るまで、生物の全貌を明らかにする学問です。

 研究の対象は化石だけではありません。古代の生き物がどのような姿をしていたのかを探るために、現代の生き物と向き合う研究者もいます。たとえば、恐竜の脚の筋肉のつき方を解明しようと、恐竜の親類に当たるワニやニワトリを解剖したりすることもあります。また、百万年前の気温はどうであったかなど、古代の地球環境の復元に取り組む研究者もいます。

―古生物学の魅力、おもしろさはどんなところにありますか。

佐藤 物言わぬ化石を調べることによって、太古の生き物の姿や地球の様子など、さまざまなことがわかってきます。人間とはまったく違うタイムスケールの過去に、今とはまったく違う生き物がいたことを知り、生物の多様性を実感できること、それがいちばん大きな魅力ですね。

 化石の研究を通じて進化の概念が生まれ、地球の歴史のなかで人間はほんの新参者であることがわかりました。古生物学によって、それまでの世界観が大きく変わったのです。未来のことはわかりませんから、過去から学ぶしかありません。その手段の一つが古生物学なのです。

―佐藤先生は、どのような研究をなさってきたのですか。

佐藤 わたしは、主に化石を調べて「記載」するということをやってきました。記載というのは、ある生き物を調べて、それが何の生き物であるかを見分け、その根拠を詳細に記すことをいいます。いわば、生物の〝分類屋〟というわけです。研究の対象は古生物のなかでも脊椎動物、特に数多く手がけてきたのが首長竜(プレシオサウルス類)です。

 首長竜はネッシーのモデルにもなったことでおなじみの大型水生爬虫類です。恐竜に詳しい方はご存知でしょうが、実は首長竜と恐竜は別グループの生き物なのです。最もわかりやすい違いは、脚の形です。恐竜の脚は胴から地面に向かって真っすぐ伸びていますが、首長竜の脚は海洋の環境に適応し、クジラやイルカのヒレのようになっています。また、頭の骨の形が違います。爬虫類は、頭蓋骨の穴の開き方で分類するのですが、恐竜と首長竜とでは穴の開き方が大きく違うのです。

―先生は昨年、自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる、「猿橋賞」を受賞されました。どういった業績が評価されたのでしょうか。

佐藤 受賞研究題目は「記載と系統・分類学を中心とする中生代爬虫類の研究」ですから、これまでの研究全般を評価していただいたのでしょう。これまでの研究のなかで特に注目されたのは、2006年に国立科学博物館で長谷川善和先生(現・群馬県立自然史博物館名誉館長)や真鍋真先生(現・国立科学博物館地学研究部生命進化史研究グループグループ長)とともにフタバスズキリュウを新属新種の首長竜と突き止め、記載したことです。

幼いころから恐竜が大好き
苦手科目を克服して理系学部に進む

―フタバスズキリュウといえば、映画『ドラえもん のび太の恐竜』の「ピー助」のモデルにもなった人気の首長竜ですね。

佐藤 フタバスズキリュウは、1968年に日本で初めて発掘された大型水生爬虫類です。福島県いわき市の双葉層群という地層で当時高校生だった鈴木直さんが発見したので、フタバスズキリュウと名づけられました。

―発掘されたフタバスズキリュウが新種の首長竜であると記載されるまで、約40年かかっています。どうしてそんなに長い年月がかかったのでしょうか。

佐藤 まず、固い岩石の中から化石を取り出すには、繊細な手作業でクリーニング(石や泥などを取り除くこと)をしなくてはなりません。大型の生物なら、それこそ何年もかかります。また、骨を取り出しても、それを眺めているだけでは論文は書けません。外国で出版された外国語の論文をいくつも読み、ほかの大型爬虫類の化石の実物と比較する作業も必要です。当時はインターネットもなく、外国の研究者との連携もままなりませんでした。そうしたこともあって、化石は保管されていたものの、なかなか研究に取り組めなかったのです。

―そもそも先生はなぜ、古生物学の道を志されたのですか。また、どういういきさつでフタバスズキリュウと出合われたのですか。

佐藤 わたしは、幼稚園児のころから恐竜が大好きでした。家族がいろいろな図鑑を買ってくれたなかで、特に恐竜の図鑑がお気に入りで、恐竜の名前はもちろん、発見地や発見者まで覚えてしまうほど読み込んでいました。もちろん、博物館や恐竜展も大好きで、親によく連れて行ってもらいました。幼稚園児のころにはもう、「将来は古生物学者になる」と決めていて、小学校に進んでからも、中高生になっても、とにかく恐竜一筋でした。

―研究者に向けてまっしぐらのリケジョ(理系女子)だったわけですね。

佐藤 それが、そうとも言い切れないのです。受験の失敗経験もあり、何もかもが順調にいったわけではありません。まず、中学受験は全敗で地元の中学に進学し、高校も第一志望校は不合格でした。次に問題だったのが、理系学部に進学したいのに、数学や物理が苦手だったことです。でも、自分がやりたい古生物学をやるには、数学や物理から逃げるという選択肢はありませんでした。

 親からは「自宅から通える大学にしなさい」と言われていて、その条件に当てはまる大学の中で、古生物学が学べる理学部があるのは、東京大学か千葉大学だけでした。そこで、東大の理科二類をめざそうと、とにかく苦手な数学に取り組みました。受験勉強の7割は数学、残りは英語といったところでしょうか。国語や社会はたくさん読書をしていたためか、あまり苦労をせずに済んだのが幸いでした。

―東京大学に合格してからは、どのような学生生活を送りましたか。

佐藤 入学直後から周囲に、「古生物が好き」「古生物学をやりたい」と猛アピールしていました。すると、「こんな先生がいるよ」「こんな研究会があるよ」と、いろいろな人が教えてくれます。そうしたつながりを一つひとつたどりながら、大学の授業はもちろん、それ以外の勉強会や講座にも参加し、人脈を広げていきました。とにかく、古生物学研究のためにやれることは全部やったという感じです。

 無事、古生物学ができることになり、4年生になって卒業研究のテーマを決めるとき、先生に「東大に恐竜の化石はないけれど、首長竜の標本ならあるよ」と勧められ、首長竜の研究をすることになりました。それが縁となって、国内では数少ない首長竜の研究者になったのです。

 ちょうどそのころ、首長竜であるフタバスズキリュウがまだきちんと「記載」されていないことを知って、「もったいないなぁ」と思ったものです。ですからその後、自分が研究できるようになったときは感慨深かったですね。

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