母校再訪
(「23年10月号」より転載/24年4月改訂)
母校再訪
日本学園中学校・高等学校
大岩 雅典さん(2020年卒業)
海東 孝輔さん(2019年卒業)
「人は得意な道で成長すればいい」
やりたいことを自由に追究できた6年間
日本学園中学校・高等学校は、1885年に創立された東京英語学校を前身としています。私学として日本屈指の歴史と伝統を持つ男子校ですが、2026年4月に共学化し、明治大学の系列校「明治大学付属世田谷」として生まれ変わります。今年の1学期に教育実習生として母校の教壇に立ち、在校生の指導に当たった卒業生のお二人に、当時の学校生活や教育実習で感じたことなどを語ってもらいました。
「モジュール講習」や「創発学」で
好奇心を満たす多彩な学びを経験
大岩 雅典さん早稲田大学文学部4年大学の卒業論文のテーマは、平安時代の日本の仏教絵画について。それと並行して15~16世紀のイタリア美術も研究するなど、興味のある分野は多岐にわたります。
―入学後に気づいた学校の良さはありますか。
大岩 先生との距離がとても近いところです。特に中学の間は、クラスの目の前に教員室があるので、わからないことがあればすぐ質問に行けますし、困ったときにもすぐに相談できます。頼れる先生の存在が身近にあるのは、ぼくにとっては非常に心強かったです。
海東 この学校で出会わなければ、きっと仲良くなっていなかっただろうと思われる個性的なクラスメートに恵まれたことです。また、大岩さんの言うように、先生との距離が近く、さらに信頼できる方ばかりだったことも、勉強や進路に悩んだときの支えになりました。
―印象に残っている学校行事はありますか。
大岩 体育祭です。“目立った者勝ち”といいますか、いかにも男子校らしいイベントでとても盛り上がります。なかでも部活動対抗リレーは、ガチンコ部門とアトラクション部門に分かれていて、アトラクション部門では、走者である柔道部員に、レースを妨害する乱入者が立ち向かうという茶番劇が見物でした。
海東 印象に残っているのは高3の文化祭です。ぼくたちのクラスは、遊園地によくある「コーヒーカップ」を企画しました。鉄パイプのうえに台車をつけて手動で回すという手作りのアトラクションですが、設計から運営まですべて自分たちの手で行いました。苦労も多かったのですが、来場してくれたお客さんが笑顔で楽しんでくれたことで、大きな達成感を味わえました。
大岩さんは、教員室の前のベンチでよく先生に相談していたそうです。中3時の担任の吉見康仁先生(左)と、高3時の担任の小松崎和道先生(右)と一緒に
―特色ある授業について教えてください。
大岩 各教科の先生方が早朝や放課後に開講してくださる「モジュール講習」が思い出に残っています。ぼくは中1から高3までの6年間、教頭の谷口哲郎先生が水曜の朝に開講する「現代文対策講座」を受講していました。これは、すべての学年に開かれた講習で、苦手を克服したい生徒や、力をさらに伸ばしたい生徒が集まってきます。下級生のときは参加する上級生を見て「この学年になると、こんなに難しい問題が解けるようになるんだ」と目標になりますし、上級生になったときは、「下の学年には負けていられない」と気が引き締まります。大学受験の試験当日の朝にも受講し、そのまま会場に向かった記憶があります。
海東 日本学園には、調査・研究・取材を通して“創造する力”を育み、それらを表現・発表し“発信する力”を身につける「創発学」というプログラムがあるのですが、その一環として行われる第一次産業の体験が特に印象に残っています。都心で生活していると、のこぎりを使って木を間伐したり、塩作りをしたりという機会はなかなかないので、貴重な経験になりました。
教育実習であらためて感じた母校の良さ
共学化しても根っこの部分は変わらない
海東 孝輔さん文教大学教育学部4年進路指導では、先生がとても親身に助言してくださいました。1年間の浪人生活中も、高3のときの担任の先生が積極的に声をかけてくれたことがうれしく、それが教員をめざす大きな動機にもなりました。
―クラブ活動についてはいかがですか。
大岩 ぼくは表象文化研究部に所属していました。これは、美術作品が歴史のなかでどのような役割を担ってきたかを研究する部活動です。初めは誘われるままに入部したのですが、いろいろな美術館や博物館に足を運ぶうちに、どんどん興味がわいてきました。実は、今追いかけている学芸員の夢も、この部をきっかけに志したものです。現在もOBとして部の指導を行っています。
海東 中高6年間、軟式野球と将棋に励みました。入学当時、学校には将棋部がなかったのですが、もう一人の友人と創部をめざして一念発起。「初めは同好会から。活動が3年続けば部として認める」という学校のルールに従い、最初は「将棋同好会」としてスタートしました。そこから徐々に人が集まり出し、3年後に部に昇格。そんな浅い歴史にもかかわらず、高2のときに出た団体戦では、都内64チーム中10位の成績を収めることができました。何もないところからそこまでの成績を残せたことは、大きな自信につながりました。
―大学での専攻分野について教えてください。
大岩 早稲田大学文学部に進学し、美術史を専攻しています。学芸員の資格取得のためのプログラムはすべて履修を終え、今は大学の博物館で資料整理や展示の準備を手伝う学生スタッフをしています。
海東 教員になるのが夢だったので、教員養成に定評のある文教大学に進学しました。将来は、一般企業に就職して社会人経験を積んだ後に、その知見を生かし、セカンドキャリアとして教員をめざしたいと考えています。
―お二人は先日まで教育実習をされていたそうですね。そこで感じたことを教えてください。
大岩 ぼくたちが在籍していたころよりも、生徒たちの積極性が上がっていると感じました。学校全体に自信がみなぎっているという印象を受けましたね。
海東 事前に大学で授業の作り方を学んでいたのですが、理論と実践はまったく異なることを痛感しました。生徒の能力や興味をしっかり見極めなければ、その授業は実りあるものになりません。日本学園の先生は生徒のことをよく見て、それに合わせたアプローチを考えてくださっていたんだなと、あらためて気づかされました。
海東さんが軟式野球部で汗を流したグラウンド。高校軟式野球部顧問の水野謙一先生と
―最後に、受験生に向けてメッセージをお願いします。
大岩 日本学園は、「人は得意な道で成長すればよい」という創設者の考えの下、生徒のやりたいことを尊重し、それを全力でサポートしてくれる懐の深い学校です。高1の夏休みに、ぼくが1人でパリのルーヴル美術館に行くことも応援してくださいました。3年後に共学化し、校名も変わりますが、こうした根っこの部分は変わらないと思うので、より多くの人に学校のことを知ってもらえたらうれしいです。
海東 大切なのは、くさらずに続けていくことだと思っています。努力が報われず、心が折れそうになるときもあるでしょうが、それでも続けることで見えなかったものが見えてきたり、少しずつ形になってきたりします。それは、ぼくがこの学校に通うなかで学んだことでもあります。困難を乗り越える経験が、その後の人生に必ず生きると思うので、とにかくがんばってください。
《学校のプロフィール》
日本学園中学校・高等学校
・2026年4月より明治大学と系列校化し、明治大学付属世田谷中学校・高等学校(共学)となる
●所在地 〒156-0043 東京都世田谷区松原2-7-34
京王線・京王井の頭線「明大前」駅より徒歩5分、
京王線・東急世田谷線「下高井戸」駅より徒歩10分
●TEL 03-3322-6331
●H P www.nihongakuen.ed.jp/
《Information》
学校説明会などの情報はこちらよりご確認ください。 |
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