1939年から続く校舎を
受け継いでいく
わたしが校長に着任したのは、灘校が創立80周年の節目を迎えた2007年。校長として取り組んだ大きな仕事の一つが校舎リニューアルです。
灘中は1927(昭和2)年に創立され、翌年に開校しました。当初は木造校舎で、生徒数が増えるにつれて校舎も増え、やがて3棟が並ぶようになったと聞いています。
ところが、開校から10年後の1938年1月7日、灘校は大きな火災に見舞われます。折からの「六甲おろし」にあおられて火は燃え広がり、校舎は全焼。大きな危機でしたが、ちょうど近隣にあった師範学校が移転するというので、その校舎を一時的に借りることになりました。
この間に新しい鉄筋の校舎を建て、1939年に竣工しています。その校舎の一つが、現在、中学生の教室が入っている「1号館」です。実はこの1号館は、創立85周年記念事業として建て替えるのが当初の計画でした。すでに築70年近くになっており、老朽化が深刻化していたからです。加えて、1995年の阪神・淡路大震災では倒壊こそ免れたものの、躯体には相当なダメージを受けていました。
その状況のなか、生徒や卒業生から「せっかくの歴史ある校舎なのだから、なんとか残せないか」という声が出てきます。確かに、戦前に竣工し、空襲や大震災を乗り越えて長く受け継がれてきた1号館は、わたしも含めて卒業生共通の大切な思い出の場です。そこで、耐震性を高める改修を施す方法を検討することになりました。
「外観が損なわれてしまうのではないか」とも心配しましたが、外観に配慮しながら耐震性を高める方法があることがわかり、保存の方向で進められることになりました。
授業を続けながら進めた
知恵と工夫の「居ながら工事」
いよいよ工事が始まったのは2011年です。大掛かりな工事ですが、仮設校舎を建てずに進めることになりました。授業を続けながら進める「居ながら工事」です。
まず、柔道場などが入る「西館」を先に建て、一部を仕切って仮教室として中学の一学年を移します。こうして空いた階の工事を行い、その階が終われば次の階の生徒を仮教室に移す──という手順を繰り返し、各階の改修を順次進めていきました。大きな音が出る作業は夏休みや冬休みに集中させるなど、設計会社や建設会社の方々にもご配慮をいただきました。そして、2013年5月、竣工の日を迎えた際は本当にほっとしました。
さて、新しい校舎には、灘校の良さを引き出すさまざまな工夫が凝らされています。うれしかったのは、設計会社の方が学校生活の様子を見て、「学年の違う生徒が自然に混じり合って過ごしている」という印象から、「中高渾然一体」を提案してくれたことです。灘校では、中高6年間を一つの流れとして過ごします。先輩と後輩の距離も近く、そこに教員もかかわっていく。そうした関係が校舎の中でも生まれる工夫があちこちに取り入れられたのです。
その象徴の一つが図書館です。それまでの図書館が手狭だったこともあり、どこにどう配置するかは最後まで迷ったのですが、最終的に高校棟と中学棟をつなぐような形で、広々とした図書館を設けました。
フリースペースを多く設けたことも大きな特色です。たとえば、職員室の前にはとても広い廊下があり、窓際にはテーブルと椅子が配置されています。昼休みや放課後になると、生徒たちが雑談したり、勉強を教え合ったり、先生に質問したりと、いつも活発に使われています。面談室で1対1で向き合うのとは違い、「ちょっと腰かけて話そうか」と、気楽にコミュニケーションがとれる場があることが、とても豊かだと思っています。
費用面でも多くの方に支えていただきました。リニューアルのために積み立てていた資金もありましたが、卒業生にも協力を呼び掛けたところ、目標額を上回る寄付をいただいたのです。
2面あるグラウンドにいずれも人工芝を敷くことができたのもそのおかげです。灘校は住宅地のなかに位置しているため、グラウンドの土ぼこりが飛散する問題には、以前から頭を悩ませていました。当時は関西の学校でグラウンドを人工芝化した例がほぼなかったため、東京の学校や大学も見学させてもらいました。わたし自身、長く野球部の顧問を務めてきたので、緑鮮やかに生まれ変わったグラウンドを目にしたときは、とてもうれしく思いました。
正門を入って正面にある灘校のシンボルともいえる本館。外観は1928年の開校当時のままリニューアルを経ており、2001年には国の登録有形文化財に指定されました
嘉納治五郎の像を迎え
校是の精神を形として残す
もう一つ印象深いのが、嘉納治五郎像を設置したことです。嘉納治五郎は神戸出身の柔道家・教育者であるとともに、講道館柔道の創始者であり、灘校創立時の顧問です。校是の「精力善用」「自他共栄」ということばも治五郎のものであり、灘校の原点です。あらためて考えてみれば、今までなかったことのほうが不思議です。
調べてみると、東京都文京区の講道館前や、治五郎が校長を務めた東京高等師範学校ゆかりの庭園「占春園」などに建つ像は、いずれも彫刻家・朝倉文夫氏が制作した型からつくられたものだとわかりました。そこで、この型を管理する東京都台東区の文化財団にわたし自身が出向き、使わせていただけないかとお願いしました。
ただ、像は嘉納先生とゆかりのある場所にしか建ててはならない、というのが朝倉氏の遺志です。創立時に顧問を務めていただいた灘校とのご縁を説明したところ、「それなら資格がありますね」と認めていただきました。
除幕式は2012年6月、新しい柔道場の道場開きとあわせて行いました。現在、銅像は正門を入ってすぐ右手の築山に建っています。左手には初代校長である眞田範衞の銅像もあり、まるで二人が目線を合わせているかのようです。二人が静かに見守る学び舎で、今日も生徒たちは思い思いに力を尽くしています。