受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

挑戦するキミへ

Vol.21

いつから英語を学ばせるべきか
早期学習より母語の確立を優先する

 グローバル社会の到来を見据えて、早期からお子さんの英語教育に力を入れているご家庭も少なくありません。しかし、柳沢先生は「早期教育だけがすべてではない」と訴えます。まずは母語による概念の確立を優先することが、その後の学びを支えるうえで重要だと考えています。アメリカで教鞭を執ってきた経験や、北鎌倉女子学園での試みも交えながら、柳沢先生が子どもの英語教育における注意点についてアドバイスします。

文責=柳沢 幸雄

英語に“正解”はない
カタカナ英語でも道具としては十分

柳沢 幸雄

やなぎさわ ゆきお●北鎌倉女子学園学園長。東京大学名誉教授。1947年生まれ。東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。ハーバード大学大学院准教授・併任教授などを経て、2011年4月から2020年3月まで開成中学校・高等学校校長を務める。2020年4月から現職。

 英語の学習を始めるなら、早ければ早いほどいい――これは、子どもの英語教育における定説とされています。それを信じて、乳児期から英語教材に触れさせたり、幼児期から英会話教室に通わせたりと、熱心に取り組むご家庭も珍しくありません。確かに、早期からネイティブの発音に触れることで、「LとRの音の聞き分けができるようになる」「きれいな発音が獲得できる」など、一定の効果があるのは事実です。しかし、そのいずれもが「ネイティブ風に話せる」ということが最終目標になっているように思います。それは果たして英語学習の本質といえるのでしょうか。

 アメリカには「キャピトルヒル(国会議事堂)で行われるすべての演説を理解できる人はいない」というジョークがあります。これは、ひと口にアメリカ英語といっても、東部なまりもあれば、南部なまりもある。さらには、アジア人の英語、オーストラリア人の英語、インド人の英語など、特定の地域で話される英語にはそれぞれの特徴やくせがあって、一つとして“正解”と呼べるものはないということを示唆したものです。

 歴代の日本人ノーベル賞受賞者のスピーチを思い出してみてください。ネイティブ並みに話せる人は珍しく、そのほとんどがカタカナ英語を話していたことに気づくのではないでしょうか。それでも、各国の研究者と共同でプロジェクトを進め、世界的に認められる高い成果を出しています。それはつまり、話しことばはカタカナ英語であっても、その人の思考や論理が相手に響くものであれば、コミュニケーションの道具としては十分だということの証しでもあるのです。

概念形成も言語の役割の一つ
母語がその後の思考を左右する

 そもそも言語にはどういう役割があるのでしょうか。一つは「コミュニケーションの道具」として、もう一つは「概念を形成する道具」としての役割です。たとえば、「自由」という概念を日本語の「自由」として学ぶのか、英語の「freedom」として学ぶのかで、そこから得られるイメージが大きく異なります。

 一般的に、外国語を流ちょうに話す人ほど、母語に比べて外国語で表現できる感情の幅の狭さに不満を持つそうです。仮に、母語の概念形成が完了する前に外国語を獲得したら、自分の気持ちを母語でも外国語でも表現できない、本人にとっては非常に生きづらい状況になってしまいます。

 つまり、人間は何か一つ、自分のアイデンティティーとなる言語を持つべきなのです。その言語を日本語にするか、英語にするかは長期的な生育環境によって選択する必要がありますが、早くから外国語にばかりに力を入れるよりも、まずはよりどころとなる母語をしっかり確立しなければ、その後の人生における思考・思索は非常に中途半端なものになってしまうことでしょう。

母語を選ぶことは
教育方法を決めること

 母語を日本語にするか英語にするかを決めることは、日本式の教育を取るか、アメリカ式(インターナショナルスクール)の教育を取るかの選択でもあります。

 たとえば、日本の小学生は九九を覚えます。しかし、アメリカでは誰も覚えませんし、教師も覚えさせません。「電卓を使えばいいでしょう?」という考え方です。そうすると、次のステップである割り算ができません。どうするかというと、「Guess(推測しなさい)」です。つまり、答えはこのくらいだと推測して、それと割る数をかけ算して、大きかったり小さかったりしたら、数を調整するのです。その良し悪しは別にして、アメリカ式の小学校教育を選択したら、日本の中学受験をパスするのは非常に困難です。

 また、アメリカは多民族国家ですから、読み手がどんな文化的背景を持っていようとも論旨が伝わるよう、文章を書く際は「コンクルージョンファースト(最初に結論を持ってくること)」をたたき込まれます。「眼光紙背に徹す」「行間を読む」のように「言及しなくてもわかってもらえるだろう」と考える日本とは正反対の文化です。

 わたしも長らくアメリカで学生を教えてきましたが、常に意識していたのは、発信内容をきちんと論理立てることです。論理の構成が明確でわかりやすければ、多少英語に難があっても、主張したいことは伝わります。

 このように、論理力はグローバル社会の必須スキルだととらえ、北鎌倉女子学園では「論文教室」を開いています。たとえば、「目の見えない人にも伝わるよう葛飾北斎の冨嶽三十六景『神奈川沖浪裏』を説明しなさい」というテーマで文章を書いてもらうなどの取り組みをしています。ポイントは、段落を明確に分け、それぞれの段落は第1文でキーワードを示し、2文以降ではキーワードの説明と、わかりやすくするための例を書くこと。論理的に理解しやすい書式で書く力が身につけば、どんなにグローバル化が進もうと、恐れることはないと考えています。

 あらためて申し上げると、英語の学習は、母語での概念形成が完了してから、あるいは子どもが興味を持ってからでも十分に間に合います。ネイティブのように話せることへの呪縛から、あまりに早くから学習を始めたせいで英語嫌いになってしまうことのほうが問題です。あくまで「英語で何を伝えたいのか」「英語で何を学びたいのか」という外国語学習の本質に意識を向けて、学びを進めていってほしいと思います。

ページトップ このページTopへ