受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

和田先生が語る灘校の真価

Vol.5

「授業」という真剣勝負を通じて
唯一無二の個性を大きく伸ばす

 京都大学文学部を卒業した和田先生は、1976(昭和51)年に母校の灘校に英語科の教員として着任します。そして、教育者として生徒と交わっていくなかで、校是である「精力善用」「自他共栄」の精神が、教員にもしっかり求められることを実感します。それぞれにとがった個性を持った生徒たちと共に、教員一人ひとりが創意工夫を凝らした授業を行い、学校全体がよりよい成長の場として成熟していく。この営みはまさに、「精力善用」「自他共栄」の実践といえるでしょう。

文責=和田 孫博

「自由」が息づく校風のなか
教員の創意工夫で授業を展開

和田 孫博

わだ まごひろ
灘中学校・灘高等学校前校長。兵庫県私立中学高等学校連合会副理事長。1952年生まれ。京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業後、1976年に母校の灘中学校・灘高等学校の英語科教諭に。2007年4月から2022年3月まで同校校長を務める。著書に『未来への授業』(新星出版社)、共著に『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公新書ラクレ)などがある。

 灘校はよく「自由な学校」といわれます。この校風のルーツは、創立時にまでさかのぼります。

 灘中学校が創立されたのは1927(昭和2)年。まだ大正デモクラシーの雰囲気が色濃い時代です。初代校長は眞田範衞先生、顧問は柔道家であり教育者でもあった嘉納治五郎先生で、柔道の精神である「精力善用」「自他共栄」が校是に掲げられました。

 この校是を簡単に解説すると、「自分にできることを、それぞれがしっかりやろう。いろいろな人の力を合わせれば、自分も成長するし、よりよい世界を作っていける──」というような意味になるかと思います。この校是には、「全員を同じ型にはめるのではなく、一人ひとりが自分らしい能力を存分に伸ばそう」という「自由」の精神が息づいているのです。

 この校是は、生徒だけでなく教員にも適用されます。ですから、「働き方改革」で労務管理の徹底が叫ばれる現代社会の常識とは少々ギャップがあるかもしれませんが、灘校の教員の働き方はかなり「自由」です。というのも、「授業に穴を開けず、質の高い授業をする」という唯一絶対のルールさえ破らなければ、基本的に何をしてもいいからです。

 教員であっても、クラブ活動なり、教材研究なり、個人的な研究なり、やりたいことがあれば自由に打ち込むことができます。最も重要な「授業のやり方」も、教員それぞれに任せられるのです。

 中学3年間をかけて、『銀の匙』という1冊の小説をていねいに読み込んでいく、という型破りな国語の授業を実践し、「伝説の国語教師」としてメディアでもよく取り上げられた橋本武先生(故人)をご存じの方も多いでしょう。この橋本先生も新任教員時代に、初代校長の眞田先生から「好きなようにやってくださいと言われて、自分なりのやり方を作らざるを得なかった」と語っておられました。その結果、あのような唯一無二の授業のスタイルが生まれたのです。

 ただ、「好きなようにやる」ことは、「自分勝手に教える」こととイコールではありません。大事なのは、目の前の生徒との有機的な関係性のなかで、自分なりのベストなやり方を見つけていくこと。そして、時代とともに生徒の感覚も変わっていくので、いつまでも同じやり方は通用しません。常に進化していかなくてはならないのです。

生徒を飽きさせないように
多種多様な教材を「投げ込む」

ある学年の高2・3用に、和田先生が作成したオリジナルテキスト

 わたしも授業作りには苦心しました。特に、生徒たちの興味を引くためにあれこれと工夫したのが、オリジナル教材の「投げ込み」です。

 灘校の大きな特徴の一つに「プリントの多さ」があります。もちろん柱は教科書なのですが、その学びを補強したり拡張したりするために、びっくりするほどの量のプリントが配布されるのです。これは「この学年には、こういう情報を与えると興味を引くだろうな」と、教員一人ひとりが創意工夫した証しで、こうしたプリントでいかに授業を立体的にしていくかは、教員の腕の見せどころでもあります。ちょっとでも気を抜いて退屈な授業をしてしまうと、すかさず居眠りされたりするので、こちらも必死です。

 こうしたやり方についても、校長や教頭が指示したり、誘導したりすることはありません。生徒と教員の関係性のなかで、模索されていく。いわば生徒と教員とのコラボレーションによって生まれていくものなのです。生徒の反応を確認しながら方向性を定めていくので、一見、教員から生徒へと、一方通行に情報を伝えているような授業でも、実は「アクティブ・ラーニング」的な要素を含んでいます。

 わたしの担当は英語なので、おもしろそうな英字新聞の記事を切り抜いて話題にしたり、名作映画を丸ごと鑑賞してみたり、文学作品をじっくりと読んだり、英語落語を聞いてみたり…と、英語にまつわるさまざまな素材を活用しました。

 「そんなものが勉強になるのか」と言われるかもしれませんが、わたしは本当の意味で英語を学ぶためには、「語学」の面だけでなく、英語が使われる文化的背景を知ることが非常に大事だと思っています。

 たとえば『最後の一葉』という、オー・ヘンリーの短編小説があります。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジという地域が舞台なのですが、ここは、売れない画家たちが数多く暮らす場所です。一つの地名が出てきただけで、米国の文化的背景が少しわかる。文学などの表現を通じて海外の文化に触れることは、英語をより深く理解するために非常に重要なのです。

とがった才能を持つ生徒たちを
とがったまま成長させていく

 灘校では、6年がかりで一つの学年を卒業まで見届け、その後1〜2年は学年を担当せずに英気を養い、再び新中1生の担当になる、というサイクルをくり返しながら教員生活が続きます。わたしの場合は、2006年に教頭になるまでの約30年間でこのサイクルを4周しました。それぞれの時代の生徒たちとコミュニケーションを重ねながら、自分なりのやり方を徐々にバージョンアップさせられたと思います。

 灘校がオリジナルな教育方法をとるのは、個性豊かな生徒たちが集まっているがゆえに、「一人ひとりのとがった個性を、より鋭くとがらせること」を大切にしているからです。とがった個性というものは、将来は超一流に育ちうる「芽」です。しかし、生徒同士のとがった部分と、とがった部分がそのままぶつかるのは危険です。その芽もつぶしてしまいかねません。わたしたち教員の使命は、彼らがとがったままで相互に尊敬し合えるよう、よい「場」を作っていくことだと思っています。

 うれしいことに、ほとんどの生徒が自分の個性を伸ばしながら卒業していきます。生徒たちの「その後」を見ると、起業したり、研究を極めたり、社会活動に打ち込んだり…。さらには、落語家、音楽家、囲碁の棋士などになって個性を発揮している人もいて、本当に多士済々です。卒業生たちの活躍を見ることも、教育者としての大きな喜びです。

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