受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さぴあインタビュー/全国版

個々の能力を伸ばす教育で
平和の実現に貢献する人へ
6年間で未来への道筋をつける

栄光学園中学高等学校 校長 柳下 修 先生

「平和をめざす学園」として誕生
伝統を守りながら時代と共に歩む

聞き手1
サピックス
教育情報センター所長
神田 正樹

神田 初めに栄光学園の沿革と、先生が学園にかかわってこられた経緯についてご紹介いただきたいと思います。

柳下 本校は戦後間もない1947(昭和22)年に、カトリックの修道会であるイエズス会によって設立されました。当初、校舎は横須賀市の田浦にありました。横須賀は古くから軍港都市として栄えていましたが、アメリカ海軍がこの地から平和を広げていきたいと考え、イエズス会に学校の設立を要請したのです。当時のイエズス会はすでに東京に上智大学を設立しており、まずは大学の復興が急がれましたが、強い要請を受けて中学校を開設することを決めました。そして、上智大学の教授になる予定だったドイツ人のグスタフ・フォス神父を初代校長として、横須賀の軍事施設のがれきのなかから平和をめざす学園としてスタートしました。

 現在の鎌倉市玉縄の地に移転したのは、1964年です。田浦の校舎は目の前が海で、校舎もさぞ魅力的だったと思いますが、ここも広大な敷地と豊かな自然に恵まれ、若者の心と体を大きく育てていける魅力的な教育環境にあります。

 わたしは29期の卒業生です。大学4年生のときに栄光学園で教育実習を受け、当時の校長から誘いを受けて着任しました。母がカトリックの信徒で、わたしも幼児洗礼を受けています。当時、父は信徒ではありませんでしたが、フォス先生の教育方針に感銘を受け、先生をとても尊敬していました。そんな父の勧めもあって生物の教員として栄光学園に戻り、ここ15年ほどは倫理の授業も担当しています。

神田 かつて教鞭を執っていた山本洋三先生が『栄光学園物語』という本を執筆されています。わたしも拝読しましたが、フォス先生の教育にかける思いがひしひしと伝わってきました。かつては多くの神父さま、それもさまざまな国の方がいらっしゃったそうで、当初からグローバルな環境だったのですね。

柳下 かつては学年付きの神父がいて、わたしの学年の神父はスペイン人でした。聖書研究はペルー人、英語の授業はブラジル人、ソフトテニスの顧問はアメリカ人と、さまざまな国から日本に来たイエズス会士がいらっしゃいました。生徒の話をじっくり聞く優しさもありましたが、先生方は全体的に厳しかったですね。

神田 『栄光学園物語』にもそのあたりのお話が出てきます。ポケットに手を入れているだけでも怒られたそうですね。

柳下 今は昔と同じような厳しさはありませんが、たとえば「時間を守る」といった基本的なルールは変わらずとても大切にしています。一方で、時代に合わせて柔軟に対応していくことも必要だと思います。自由でOKなところは自由でなくてはいけません。さもないと自発性は育てられないからです。その見極めが教育の肝ではないでしょうか。

遠藤 昼食は原則、お弁当ですね。これもフォス先生の時代から踏襲されているそうですね。

柳下 踏襲してはいますが、パンやカレーは売店で買えるようになっています。今年の春からは、インターネットで注文するお弁当も始めました。生徒会の高校生たちが見つけてきたもので、試しに取り入れています。メニューは限られていますが、多いときには1日50食以上の注文がある日もあって、今のところうまくいっているようです。

神田 保護者の方も助かりますね。生徒の提案で始まったというのがすばらしいです。

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24年7月号 さぴあインタビュ ー/全国版:
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