受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さぴあインタビュー/全国版

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慶應義塾普通部 部長 森上 和哲 先生

慶應義塾の起源までたどる学校
こだわり続ける「普通部」の名称

聞き手1
SAPIX YOZEMI GROUP
共同代表
髙宮 敏郎

髙宮 普通部は慶應義塾の一貫教育体制が確立した1898年を開設年としています。あらためて貴校の沿革についてご紹介ください。

森上 慶應義塾は、1858(安政5)年に福澤諭吉が蘭学塾を開いたときから歴史を刻んでいます。1890年に高等専門教育を授ける「大学部」が開設され、福澤塾以来の従来の課程はまとめて「普通部」と呼ぶことになりました。その後、1898年に幼稚舎から大学科に至る一貫教育体制が確立し、普通部は中等教育を担う課程(当時は5年制)となりました。中学としての歴史はこの年から起算しています。

髙宮 森上先生が慶應義塾とかかわるようになられたのは、いつからですか。

森上 わたしは普通部で学んだ後、慶應義塾高校、慶應義塾大学へと進み、理工学部の大学院まで行きました。そのとき、普通部で担任だった先生にお声掛けいただき、1993(平成5)年に理科の教員として普通部に戻ってきました。

髙宮 慶應の校章はペンが二つ、斜めに交差したシンプルなもので、一貫教育校もすべてこのペンマークを使っていますね。わたしも普通部出身ですが、普通部だけペンが細いことが以前から気になっていました。なぜ違うのでしょうか。

森上 慶應のペンマークは、もともと普通部で使っている細いもので、明治時代の写真を見ても細いペンマークになっています。ただ1990年代に慶應義塾が意匠登録をしたときは、その少し前から使われていた太めのペンマークで登録してそろえたという経緯があります。一貫教育校もすべて大学にならったのですが、普通部は慶應の起源までたどれる学校だということにこだわる先生方が、昔から受け継がれているものを使いたいということで、細いペンマークを使うようになったそうです。

髙宮 大事にしたいものを頑固に守り抜くところは、普通部らしいですね。

森上 「普通部」という名称もそうです。戦後の学制改革の際、普通部は中学校と高等学校(慶應義塾高校)とに分かれました。そのとき、文部省(現在の文部科学省)から、「普通部」という名称は「普通科」と混同しやすく、紛らわしいと言われたそうですが、そのまま「普通部」の名称を使い続けています。「普通部」には、すべての学問の基本、高度な学問に通じる土台を培うところであるという意味があり、それを大事にしたかったのだと思います。

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23年1月号 さぴあインタビュ ー/全国版:
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