受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さぴあインタビュー/全国版

刺激し合い、高め合う
独自の教育プログラムで
みずから学び成長する力を育む

本郷中学校・高等学校 理事長 松平 賴昌 先生/校長 佐久間 昭浩 先生

創立時の思いを刻んだ校名と
多彩な人材を育てた100年の歩み

聞き手1
サピックス
教育情報センター
神田 正樹

神田 本郷学園は今年で創立100周年を迎えられました。初めに学園の沿革についてご紹介いただけますか。

松平 本校は1922(大正11)年に、わたしの曽祖父にあたる旧高松藩松平家12代当主の松平賴壽によって創設されました。賴壽は貴族院議員を長く務めた人で、本郷区(現在の文京区の一部)の教育長という立場にもありました。当時は日本の人口、特に子どもの人口が一気に増え、子どもたちに教育の場を提供することが時代の要請でした。本郷区でも学校をつくってほしいとの要請を受けて校地を探しましたが、適当な土地がありませんでした。そこで、幕末の大老・井伊直弼の娘で、賴壽の母に当たる松平千代子の別邸があったこの土地に、学校を設立しました。そうした事情で、本校は豊島区駒込にありますが、本郷区の要請を受け、また本郷区民から多くの寄付を受けて開校した学校であることから、校名に「本郷」の名を残しています。

神田 賴壽先生は貴族院議長を務められた方で、第2代校長の徳川宗敬先生も貴族院副議長を務め、後にサンフランシスコ講和条約の調印式に全権委員として派遣されました。戦前戦後の日本の政治を担った方々が築き上げた学園なのですね。100周年を迎えられた今、理事長先生の目には、本郷生たちはどのように映っていますか。

松平 中学・高校合わせて1700人ほどの生徒がいますが、みんな明るく元気で、全校生徒1700人の“居場所”がこの学校なのだと思って見ています。本校はいろいろな個性が育つ場所です。時代によって雰囲気は変わると思いますが、生徒たちが安心して集まれる場所であることに変わりはありません。わたしたちも明るく元気な生徒たちからエネルギーをもらっています。

佐久間 説明会を開くと、自分の息子が中学受験を迎えるという卒業生が保護者として来ていることがよくあります。ほとんどが第一声で「本郷は変わりましたね」と言います。グラウンドが人工芝になったり、校舎が建て替わったりしたことから「変わった」と感じるようですが、説明会を聞き終えた後は、「本郷はやっぱり変わらないですね」と言ってくれます。「ああしろ、こうしろ」と教員が指示するのではなく、生徒が自分で考え、自分がやりたいことをやる。そういう空気をつくり出しているところは、今も昔も変わりません。教員も同じで、自由な雰囲気のなかで自分たちのやりたいことを見つけて取り組んでいます。卒業生たちは「変わることはうれしいけれど、変わらないこともうれしい」と言ってくれます。

神田 そういう学園であり続けているからこそ、卒業生の方々もさまざまな分野で多彩な才能を発揮されているのでしょうね。北島康介さんのようなオリンピックの金メダリストもいれば、能楽師の亀井忠雄さんのような人間国宝の方もいます。デザイン科が設置されていた時期には、現在活躍されている漫画家の方々がこの学園で学んでいます。卒業生の方が実に幅広い分野で活躍されていて驚きました。

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22年6月 さぴあインタビュ ー/全国版:
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