感謝の言葉
2026年2月2日14時の合格発表を親子3人で見るかどうか悩んでいましたが、渋滞のタクシーで移動中でタイミングを逸してしまいました。その後、ホテルの一室にて、本人がどうしても見たいとごね始めたので、妻が自らのスマホをいじり始めた矢先に絶叫、その画面を見せられた娘も泣きじゃくり、私は蚊帳の外で暫く状況が理解できずにいました。桜色の画面には「合格おめでとうございます」とありました。2月1日試験本番、面接が終わり学校から出てきた娘は、なるべく試験直後の所感を聞かないように努めていた私をよそに、(得点源のはずの)国語が例年と違って出来ていないかもしれないが、○○人(同校の募集人数)の中には入ってるでしょ~、とペラペラと喋っていたので、その言葉を信じてはいたものの、やはり4歳からの彼女の夢の一つ、桜蔭中学校の生徒になることが出来るのだなと思うと胸がいっぱいでした。
娘が3歳の時、彼女の最愛の祖母がすい臓がんで他界しました。初孫だった娘は祖母とのスキンシップも旺盛で近くで顔を見ていたせいか、祖母の顔を描く時、目を黄色く塗っていました。深く愛されていた祖母を失った経験と、祖母の異変に気付いた一人は自分であるとの自負からなのか、「がんを治す医学者になりたい」と言い出すようになりました。山中伸弥教授に憧れて京都大学医学部を目指すようになり、東京から一番近道は桜蔭に行くことだ、と小さな胸に秘めることもなく口外するようになりました。小学校低学年の作文では桜蔭にいって~、と記し堂々と発表し壁に貼られ、未来の自分を示す工作では丸首の制服におさまる自分を作成し、親としては冷や冷やしながら見ておりました。
3年生2月からSAPIXに入室、保育園年中からコンスタントに3年先くらいまでの算数と国語はやっていたので何とかなるかと思っていたのですが、最初はちょうど真ん中のクラス。さすがのサピだと襟を正して、夏休み後には一番上のブロックで頑張っておりました。しかし、5年生になると悪い自我(きっと中学受験にとっては、という意味合いで)が目覚めたのか、成績が低迷、家庭内の雰囲気はあまり宜しいものではなくなりました。3年間の受験勉強の中では谷の時代だったと振り返ります。それが、6年生になる直前くらいに、パッと、大人になってしまいました。親と仲たがいする時間が無駄だと思ったようです。本人が提案して、私が記入したロードマップを遂行できるように一生懸命こなし、先生方の教えに素直に取り組みました。秋には修学旅行と組分けテストがぶつかってしまい、無理をしたせいか、ブロック落ちしてしまいましたが、持ち前の桜蔭生になるというビジョンはまったく揺るがなかったようで、SSを乗り越えて結果を出すことが出来ました。先生方、関係者の方々、親としても深謝の念に堪えません。